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人災派遣のフレイムアップ 第7話 『壱番街サーベイヤー』 19

 時計の針が二十二時を回った。地方の街であれば人通りは少なくなり、商店はシャッターを下ろし明日に向けての準備を始める。だが都内、それも新宿区高田馬場の駅前ともなれば、店舗の終日営業などはごく当たり前。ネオンはより一層輝きを増し、二次会へと向かう酔っぱらった学生達の喧騒に駆り立てられるように、街のせわしなさはより加速していく。
「なんだかなあ」
 駅前の一角、小さなビルの一室に押し込められたファミリー向けのイタリアンレストランのカウンター席のひとつに、七瀬真凛は己の身を押し込んでいた。真凛が知る限り、本来このチェーン店は余裕のある座席配置でゆったりと食事がとれるはずだったが、都内の高騰した家賃で利益を出すのは容易ではないらしく、いま彼女は隣の客と肘がぶつかりそうな細いカウンター席に詰め込まれ、女子高生にもお手頃な値段のドリアと飲み放題のドリンクバーに向かい合っていた。
 一通り歓迎会が盛り上がった後、皇女は疲れを癒やすため割り当てられた客間に引き取り、後は残ったメンバー達の単なる飲み会と化していた。来音さんが遅いから家まで送ってくれると言ってくれたが、謝辞し、そのまま自分の足で帰路についたのがついさっき。そのまま真っ直ぐ帰宅するだけの事だったのだが……なぜか今、自分はファミレスでドリアをつついている。
 グラスの中には薄桃色の液体。アイスティーとオレンジジュースとソーダを混ぜ合わせたドリンクバー・カクテル。友人から教えて貰ったものだ。
 カバンの中のがま口を開けて、硬貨の枚数と金額をいまいちど数え、注文したメニューが予算内に収まっているか確認する。消費税を忘れずに。七瀬の家には小遣いという概念がない。母は使う目的さえはっきりしていれば金額の大小に問わずお金を出してくれるが、それ以外には友人達に喫茶店に誘われた時用にごく小額を渡されるのみである。現役女子高生の懐事情としてはお寒い限りであった。メニューを見て、テーブルにある呼び出しボタンを押し、店員さんにメニューを告げる。たったそれだけの事にもたつき、ボタンを何度も連打し、店員さんから冷たい眼で見られてしまった。
「……なんだかなあ」
 繰り返し、ため息を一つ。自分の馬鹿さ加減が時々心底嫌になる。いつもこうだ。学校帰りに一緒に寄り道する達、そして仕事で同席するアイツが当たり前のように出来ていることができない。やったことがないからだ。この一年あまりで、いかに自分が『箱入り』(その単語すらつい最近知ったのだ)であるかということを、七瀬真凛はつくづく思い知らされていた。
 正直なことを言えば、アルバイトでもないのに夜十時を回って一人でファミレスに居るというのも初めての体験だった。勢いで入店したものの、極めて落ち着かない。今すぐ食事をかきこんで、店を出て行きたくなる。それも情けなかった。つい数時間前、武道家として新たな境地に達したことを喜んでいた自分がどこか遠くに消え失せてしまったかのようだった。
「映画の約束なんて覚えてないよね」
 またドリアをつつきまわし、そんなことを呟いていた。六本木のオールナイト特撮映画。もちろんそんなものは皇女と出会う前にバタバタとかわした口約束にすぎない。自分だって勢いで友達とかわした放課後のお茶の約束なんて、忘れたり反故にされたりするのが当たり前だ。当たり前なのだ。だが、とは言え。
「素敵なひとだったなあ」
 銀髪のお姫様。絵本の中から出てきたような。そして頭がいい。なんか難しい国の話とか戦争の話をアイツとしていた。脳みそを使った難しい会話をする時、アイツは決まってそういう時嬉しそうな顔をする。自分相手には決してしない。どちらの約束を優先するかなど、わかりきっていたことだろう。
 彼女とは何歳離れていただろうか。国と、そこに暮らす人々の事を心から思う優しい女性。彼女、いや、彼女達(・・・)から見れば、自身の事で手一杯の幼稚な自分など、子供、いや、猿か何かに見えているのではないか。いやいやそんな事はない。彼女は自分を友人として扱ってくれている。それこそ彼女に失礼だ。いや、だがしかし。
「あああああ~!なんなんだろうコレ」
 頭を抱えてテーブルに突っ伏すと、ドリアの皿が抗議の声を上げる。どうにもこれはよくない。普段シンプルな思考に慣れきった頭が、複雑な問題を解決しようとしてオーバーヒートしているようだった。そんな状態がしばらくつづいた後。
「……あれ?」
 ふとテーブルの端にある伝票に眼をやり、――凍り付いた。
 伝票に記載された合計額が、予算を上回っていた。
「うそ」
 計算を間違ったのか。
 胃のあたりが締め付けられる。そんな馬鹿な。確かに数学は大の苦手だが、いくらなんでも三桁の足し算を間違えるはずが。確認したのに。だが数字には確かにそう書かれていた。
 大慌てでカバンの中をまさぐる。小銭の入ったがま口、学生証、定期を兼ねた交通カード、余白の目立つ手帳と筆記用具、非常食と包帯、通話機能のみの携帯。友人達が口々に『残念』と評するカバンの中身は、それだけだった。
 食い逃げ。無銭飲食。おまわりさん。逮捕。死刑。
 チープな単語が脳内で連鎖しぐるぐると回転。涙目でパニックに陥りかける。この半分食べ残しのドリアを返せば料金へらしてもらえるだろうか。そんな愚かなことを本気で実行しようかと思った時。
「こういうレストランだとね、時間によっては深夜の割り増し料金を取られることがあるんだよ」
 横合いから声がかけられた。


「あー、すまない、ここ、いいかな」
 慌てて振り返ると、そこには二十代後半とおぼしき男が居た。隣の席が空いたので、そこに座ろうとしていたようだった。ほとんど反射的に武道家としての目付を行う。背は高い方だろうか。すっきりとした印象だが、痩せすぎという程ではない。日ごろの運動習慣はないが、本来そこまで不得意ではない、そんなところか。
「も、もちろん。どうぞ」
 慌てて少し椅子をずらし、男の座れるスペースを確保する。
「や、助かるよ。どうも狭いところは苦手でね」
 男はしごくのんびりした挙動で腰を下ろした。その緩やかな挙動に、パニック寸前になっていた真凛の思考は、いったん落ち着きをみせていた。焦ったところでどうしようもない。最悪、電話で実家に助けを求めるという手もあるのだ。そこでようやく顔と服装に目が行った。おさまりの悪い長めの黒髪をざっくりと整髪料でまとめ、後ろに流している。穏やかな表情に柔らかな笑みを浮かべ、かっちりとした背広に季節相応のコート。服のブランドには微塵も知識が無い真凛だが、とりあえず「高そうだな」という事はわかった。生地や糸がしっかりしている。自分が普段来ているものと同様に。
「学校の先生ですか?」
 ついそんな感想が口をついた。席に着いた男はちょっと虚をつかれた表情で、
「そりゃどうして、そう思ったのかな?」
 と疑問を挟んだ。真凛は赤面した。どうにも考えなしに思いついたことを口にしてしまう。学校やアルバイト先ならいいが、会ったばかりの人には失礼ではないか。
「ええっと、その。頭が良さそうで、教えるのが得意そう、だから……?」
 男はどうやらその言葉をかみしめているようで、感慨深げに何度も呻いた。
「そう言って貰えるととても嬉しいね。こう見えてもその、ぼく、人にものを教える仕事をしているものでね。経営コンサルタントをしているんだ」
 などと言いながら男は手早くスタッフを呼び、スープとサラダ、ピザ、ドリンクバーを注文する。
「コンサルタント、ですか?」
「ああ、うん。高校生だとまだちょっとイメージしづらいかな」
「会社の偉い人とかに、これからどうすればいいかを教える仕事、ですよね」
「へえ、すごいな!よく知ってるね」
「いえ、ただ前にアルバイト先でそういう人に会ったことがあるだけです」
 たしかそのコンサルタントは詐欺に手を染めていた気もするが。
「いやこれは本当に凄い。単語を知っていても実際の仕事内容まで知っている高校生はなかなかいないものだよ。たいしたものだ」
 男は屈託のない笑みを浮かべる。頬のあたりに熱を感じた。日頃、こと知識や知恵については、からかわれることはあっても褒められることはほとんどないのだ。
「あ、そうだそうだ。これ名刺ね。よろしくどーぞ」
 真凛は名刺を見た。黒色の背景に赤字に黄色縁取りのゴシック体ででかでかと『絶対安心!売り上げ倍増!あなたのおたすけ経営コンサルタント!』なる題字、そして『お困りの際はこちらへ!』のコメント共にメールアドレスがあるのみだった。電話番号も、住所すら書いていない。
「…………これ、本物、ですか?」
 いかに真凛でも、まともな社会人がこんな名刺を使うはずがないということくらいはわかる。
「あー。胡散臭いよね。名刺刷る時、この方がインパクトあるから良いって言われたんだけど。……メールでだけ仕事を受け付けているんだよ。あちこち飛び回ってて、事務所もないから郵便物は極力なしにして。ね?」
 慌てて弁解する様が、なおさらに怪しい。
「別に、名乗る分には自由だと思います、けど」
 陽司が以前言っていた。国家試験が必要な弁護士や医者とは異なり、名乗るのに資格がいらないコンサルタントだの社長だのはまず疑ってかかれと。横文字のそれっぽい肩書きがくっつけばくっつくほど怪しいのだとかなんだとか。
「あ、信じてないよねそのまなざし?そりゃ確かにお得意さんの数は少ないけど、結構みんなお金払いもいいし、これでもそれなりに軌道に乗ってるんだよ!?」
 弁明するほど墓穴が深くなっていく悪循環は、店員がおりよく料理を運んできた事で断ち切られた。
「や、これは助かる。……良かったら、ピザたべる?」
「えっ」
 反射的に皿に視線を移しかけ、目を伏せた。正直なところ、今日の乱闘続きで昼に食べたタイカレーはすでに消化し尽くしており、ドリア一皿程度では到底カロリー消費を補いきれていなかったのである。
「ぼくこれでも体型維持のためにカロリー制限しててね。半分も食べないから。どーぞどーぞ」
 年寄り臭いセリフとともにボリュームあるピザの皿を差し出す。理性と礼儀と食欲が二秒ほど葛藤し、後者に軍配が上がった。
「そ、それじゃあ、少し、頂きます。……今日もお仕事帰りなんですか?」
「んー、ちょっと違うかな。夕飯は軽く済ませて、仕事をするのはこれから。お客さんがどうしても夜がいいって言うんでね。せっかくだから、昼は東京観光に回したんだよ」
「観光、ですか?」
 思わずまじまじと見てしまう。この男の顔立ち、そして発音は完璧に日本人のものだった。今日一日(名目上の)観光案内をしていた浮き世離れした銀髪の皇女と比べるとどうにも違和感がぬぐえなかった。
「ああ。ぼくは日本人なんだけど、最近ずっと日本を離れていたんだ。せっかく戻ってきたから、東京の思い出の場所を巡っていたんだよ。会いたかった人も二人ほどいたしね。いやはやさすがはトーキョー、ちょっと目を離すとすぐビルが生えてくる。思わず刈り取りたくなっちゃうよ」
 高層ビルを空き地に生えた雑草か何かのように言う。
「ぼくが昔居た大学も近くにあってね~。変わってるものもあり、変わっていないものもあり。懐かしくってついつい長居しちゃったよ。あ、会いたかった奴ってのは大学の後輩なんだけどね、あいつめ、学校サボってバイトに精を出してるらしく、いなかったんだよ」
「あ~、やっぱりそういう人、多いんですか」
「多いねえ。まったく困ったものだ。学生の本分は勉強だと言うに。――まあいいよ。会いたかったもう一人には、今ここで会えたからね」
 男は屈託のない笑みのまま、真凛の顔をじっとみつめた。
「――え?」
「七瀬真凛、さんだよね」
 真凛の瞳孔がすっと細くなる。もしや先ほど倒した『南山大王』の関係者か。そこにはすでに世間に疎い女子高生ではなく、武道家の顔があった。警戒に気づいたのか、男は大げさに両手を振った。
「あーいや!ごめんごめん!これじゃ完全に不審者だよね。言い直すよ。アルバイトで陽司のアシスタントをしてる子、だよね?」
「えっ!陽司の知り合いなんですか?」
「昔ね。結構これでも、仲は良かったんだよ」
「昔のアイツ、……って」
 どんなヤツだったのか。以前少しだけ聞いたことがあったが、その時はケンカ状態でありとても教えてくれる状態ではなかった。この男は知っているのか。そう疑問をぶつけようとした時。
「やー君のことは知り合い経由で良く聞いててねー。陽司のやつが事あるごとに君のこと語っているっていうから気になって気になってさ。いやはやいやはや、まさかこんな可愛らしい子と毎日一緒にバイトしているとは!あの人間不信のひねくれ者にはちと果報が過ぎるというものだよ。バイト先が高田馬場にあるっていうから寄ってみたらまさかのドンピシャ」
「っ、そ」
 そうなんですか?知り合いとは誰なのか?というか、亘理陽司が自分のことを事あるごとに話しているとはどういうことか?可愛らしいとはどういうことか?というか貴方そんなに陽司と親しいんですか、どういう関係ですか――瞬時に脳内が複数の疑問で焼き切れかけ、言葉が詰まる。どうにか口を開こうとしたが、
「――そうなん、」
「飲み物お代わりいる?」
 結果、七瀬真凛はいずれの質問も口にすることはできなかった。
 
 
「好きなものを頼んでよ。まあ、お代わり無料のドリンクバーだけど」
「あ、じゃあ、コーラを」
 男が自分と真凛のグラスを持って席を立つ。さすがにそれは申し訳ないと真凛も席を立ち、結果二人揃ってドリンクバーのマシンの前で話し込んでしまっていた。
「はいコーラ。ふふん、じゃあぼくはちょっといいものを飲んじゃおうかな」
 男は何やら自信ありげに言うと、氷を放り込み、まずはアイスティーを半分ほどグラスに注いだ。
「これにね、オレンジジュースと、ソーダを混ぜる。これがちょっとしたカクテルになって美味しいんだよねえ。どう、知ってた?」
 満面の笑み。今の今まで自分がそれを飲んでいたことを言い出せず、真凛は曖昧に頷いたまま、男がマシンを操作するのを見守った。

「このアイスティーみたいなものさ」

 マシンを覗き込んだまま、男が唐突に呟いた。
「……。……は?」
 咄嗟に文脈が把握できず目を白黒させる真凛に構わず、男は言葉を続けた。
「君の最初の質問。昔のアイツ。亘理陽司ね。アイツはそう、こういうアイスティーみたいなもんだった。味もある。色もある。でも甘くなくて、まあ透明でね」
「……ええっと」
「でも、ね」
 男はボタンを操作する。マシンが稼働し、オレンジジュースがグラスの中に注がれていった。透明な琥珀色の液体に、橙色の不透明な液体がまざり、どちらでもない新たな液体に変わってゆく。
「今のアイツは……そう、こんな感じかな」
 続いてソーダ。透明の液体と炭酸ガスが注がれ、また液体が変質する。男はさらにボタンを押した、ジンジャーエール。グレープジュース。今度は烏龍茶。新たな液体が注がれるたびに、グラスの中身は色も、味も、見た目も、混ざり合い変化していった。最初は数色が混じり合い綺麗だった色も、種々雑多に混ざるうちにどんどん濁り、汚らしくなっていった。
「調子に乗って片っ端から色々混ぜちゃってさ」
 グラスを掲げた。自身が言っていたメニューとも明らかに違う、謎の液体。
「もう最初にグラスの中に入っていたのが何か、それすらもわからなくなっちゃっている。ばっかだよねえ」
 ストローを差し込み、軽く口をつけ、顔をしかめた。まあ、美味いものではないだろう。

「君にはこれ、何に見えるかな」

「へ?」
 男の奇妙な言動にいいかげん突っ込もうと思っていたのだが、さっきからどうもことごとく機を外されてしまう。
「何……って」
「『異物が混じったアイスティー』かな。それとも『いろいろ混ぜ合わせた炭酸カクテル』?『飲むに値しないゲテモノ』?君の意見は、どうかな?」
 
 試されている。
 
 唐突に、そう感じた。
 
 気がつけば、男はグラスを突きつけて、凝と真凛を見つめていた。その表情は穏やか。だが、決して曖昧な答えをしてはいけない。根拠はないが、直観する。今真凛を包んでいたのは、ストリートで野試合を挑まれた時に似た緊張感だった。男の顔と、グラスの中身を見て。彼女は、己の答えを口にした。

「まず、飲みます」

 男は目を見開いた。ちょっと意表を突かれたようだった。

「それが何かは、飲んでみて、決めます。口にしないだけで、見ただけで決めつけるのは、いやです」

「――うん。うん。そうかあ、うん」
 
 男はしきりにうなずいた。そして何を思ったか、
「あ、ちょっと!」
 ストローに口を付け、お世辞にも美味しいとは言えない液体を一気に飲み干してしまった。
「参りました。ぼくの負けだよ。さすがに女の子にこんな得体の知れないものを飲ませる訳にはいかないからね」
 誰が何に勝って負けたのか、さっぱりわからない。
「いやはや、なるほど。これはあのひねくれ者には、本当に果報すぎるようだ」
 結局、意味もわからないまま、その問答は終わった。

 席に戻り、男は手早くサラダと、残りのピザを平らげ、ナプキンで指を拭った。
「今日は楽しかったよ。ありがとうございました」
 そう言うと、ひょいと二人分の伝票をつまんで立ち上がる。
「あっ」
 あまりに自然な動作のため、真凛にして虚を突かれ、阻止する事が出来なかった。
「ここは持たせてよ。せっかく後輩の頼りになるアシスタントに会えたんだ。ご飯くらいおごらせてやって頂戴」
「……その、ありがとう、ございます。ピザもおいしかったです」
「そりゃ良かった。本当なら君みたいな人とイタリアンなら、ミラノあたりのちょっとイイ感じなトラットリアでお昼でも、ってところから始めたかったんだけどね。今日はまあ、ご挨拶と言うことで」
「そんな!こちらこそ、今日のお礼をしないと」
 気にしないで気にしないで、と男は手を振り――それにね、と呟いた。
「また会えるよ、七瀬真凛さん」
「えっ」

「だって、ぼくの言うことは、”真実になる”からね」

 手早く荷物をまとめ、席を離れようとする。そのとき真凛は、肝心なことを聞きそびれていたことにようやく気づいた。
「あのっ」
「ん?」 
「その……御名前、まだ」
 男はちょっと眼を丸くして、その後苦笑した。
「そうそう、そうだった。君にだけ名前を聞いといて。いかんなあ、どうにもぼくは肝心な所が抜けている」
 面目なさげに頭をかくと、男は真凛の手にある名刺を指さした。意図に気づいて名刺をひっくり返す。表には胡散臭いケバケバしい宣伝文。だが裏返すと、そこには一転して、シンプルな白地に、名前が一つ、あった。

「――影治(エイジ)。宗像(ムナカタ)影治(エイジ)、そう名乗っているよ、今はね」

 影治。どこかで聞いた名前だっただろうか?
「そうそう、ぼくが帰ってきたことは、ナイショにしといて貰えないかな?」
「え、でも折角日本に戻ってきたんですよね?どうせなら会った方が」
「いやいやなに、ほんの数日の間だけ。陽司のやつをびっくりさせたいのさ」
「はあ。……そういうことなら、まあ」
 影治と名乗った男は、徹頭徹尾胡散臭いまま、歳不相応の悪戯っぽい笑みを浮かべてこう言った。
「やつとはすぐに会うからね」


『何をやっているのだあのたわけものめが!!』
 怒声とともにワイングラスが宙を飛ぶ。重厚なガラス細工は回転しながら『紅華飯店』ドラゴンスイートの布張りの壁に衝突し、大音声とガラスの破片、赤い飛沫を盛大にまき散らした。
「……ト、ワンシムハモウシテオリマス」
『翻訳は結構ですよツォンさん。おっしゃっていることはわからなくても、何をおっしゃりたいのかはよくわかりますので』
 ほとんど涙目で必死に通訳するツォン青年を大輪の華のような笑顔でねぎらい、美玲は精算時にこの男の宿泊代金がいくら上乗せされるか暗算する。この哀れな青年は、ワンシムらと同じ部屋を使うことは許されていない。おそらく今夜の事変を知ったワンシムに問答無用で呼び出され、泣く泣く駆けつけたというところだろう。
『では改めて報告の続きを。ビトール大佐は雇用した日本人とともに皇女へ襲撃をかけましたが、護衛により撃退。そののち、雇用された日本人達は器物破損の現行犯で逮捕されました。元々大した情報が渡されているでもなく、先方から被害届が出ているわけでもありません。誘拐の片棒を担いだ事が日本の警察に漏れる可能性は低いでしょう』
 ツォン青年が丁寧にルーナライナ語に通訳すると、ワンシムの弛緩しきった体が、水素ガスの量を誤った風船のようにふくれあがった。そして何事かを低くつぶやく。
「……ソレデ、ビトール大佐ハドウナッタノカ、ト訪ネテオリマス」
 つたない日本語訳に、颯真が大げさに手を広げ、首を振ってみせる。
『我々の支援チームが状況の隠蔽に駆けつけたときには、姿が消えていました。一度立ち去った皇女の護衛達が再度連行したとは考えにくいので、まあ、逃亡したと考えるのが妥当ではないでしょうか』
 本当にそれを訳すのか、半分涙目で訴えてくるツォン青年に、先ほどと同じく華のような笑顔で促す。美玲は笑顔のまま、颯真は露骨に両の耳に指を突っ込んで雇用主の激発に備えた。
『~※○△#×○※○△#☆◆!!?』
 水素ガスが破裂するような、音だけ大きく威厳のない怒声は、ツォン青年が訳さなかったことと、聞き手の二人がまったく興味がなかったため言語化されることがなかった。居眠り中にしっぽを踏まれた太った家猫のように毛を逆立てて興奮するワンシムの罵声の嵐を、美玲は一分の隙もない笑顔でやり過ごす。笑顔とは裏腹に、決して彼女の内心は穏やかではない。依頼を受けてこちらで立案した活動計画を二度も無視して暴走されたあげく無様な失敗をし、そのたびに事態を悪化させているのだ。MNBの商習慣はより大陸のそれに近い。身がすり切れるような思いで顧客の無茶に応じる日本のシタウケ企業とは異なり、契約外のことに責任を取るつもりも取らされるつもりも毛頭ない。尻ぬぐいの代金を上乗せしない分だけまだ良心的だろう。罵声とともにテーブルクロスや灰皿が飛び交う。美玲は主に向けて飛んでいこうとした万年筆を鮮やかな『纏』の動きで絡め取り、颯真はそれをごく当然のこととして傲然とソファに身を沈めていた。
 この程度の男が怒ったところで出来ること、やらかすことなどたかが知れている。怒り疲れたところで改めて今後の話をするつもりだったが、その怒りは意外な形で収まった。ワンシムの携帯電話がアラームを鳴らしたのだ。餌を与えられた猫のように携帯に飛びつく。
『!!っ、メールか……!ハハ、ハハハ!ハハハ!!さすがだ!さすがはセンセイの根回しだ!』
 メールの内容を読み進むにつれ、今度は喜びのオーラがみなぎってくる。ひとしきり哄笑をばらまいたあと、ぎらついた視線を向けた。
『聞け、おまえ達。かねてから水面下でコンタクトしていた中南海とクレムリンの有力者の方々が、金脈の情報と引き替えに私の支持に回ってくれることが確定した。これがどういうことか、わかるか?ん?』
 ツォンの訳に、颯真の視線が刃のように細められる。実際に答えたのは美玲だった。
『まずはお祝いを申し上げますわ、閣下。隣接する二大国の主流派の支持を得たということは、ルーナライナの次期国王の座が内定したということですものね』
 愚かで操りやすい傀儡の売国奴として。続く言葉を喉奥にしまい込み、卑屈さの欠片もない完璧な追従の笑みを浮かべた。
『そうだ、そういうことだ!それはつまり、中南海の方々に、今回この案件を担当したおまえ達の覚えがよろしくなると言うことでもある。おまえ達はなんとしてもあの小娘から情報を奪うのだ。いいな!?』
 元からそのつもりで動いているのだ、と口を開こうとした主を、美玲はわずかに視線を寄せて制し、心得ておりますとだけ告げた。
『それにしてもビトールの愚か者めが!こんな時にこそ奴が必要だと言うに。手柄を焦り専行しおって、知恵の足らぬけだものめが!』
 その言葉に、颯真と美玲は一瞬だけ互いの目をからませる。だが結局は無言のまま、ドラゴンスイートを退出した。口にはしない。だが主従の表情が、言わんとすることをはっきりと物語っている。
 
 ――まったく、さんざん余計な回り道をさせてくれた。
 これでようやく、我々のやり方で戦えるというものだ。
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|コメント(-) |トラックバック(-) | 2016年08月29日 (月)16時45分

人災派遣のフレイムアップ 第7話 『壱番街サーベイヤー』 18

「直樹さん!」
「やあ真凛君。遅くなった。少々準備に手間取ってしまってね」
 おれのアシスタントに軽く手を挙げ、皇女に黙礼すると、『深紅の魔人』――原種の吸血鬼は敵を見据える。
「人の軒先で生臭い妖気と騒音を撒き散らすとは迷惑千万。今は冬だ。獣の発情期はとうに過ぎたぞ」
 直樹の纏う極低温の空気が、周囲との温度差により放射状に風を巻き起こす。季節に合ったインバネスのコートと銀髪をはためかせ、絶対の冷気を操る吸血鬼は、燃える黄金の瞳で『南山大王』を見据えた。
『何者だ、貴様。どうやって俺の結界内に入ってきた!?』
「せめて英語で喋れ、獣。皇女殿下のルーナライナ語は意味が判らずとも耳に心地よいが、貴様のわめき声は傾聴に値せん」
 幸か不幸か、両者の会話は成立しなかった。直樹が左手をかざすと、そこには再び銀色の騎兵刀が形成されている。おれは心強い増援に小走りに駆け寄り――その後頭部を思いっきりぶったたいた。
「何やってんだよお前!」
「……、……、……。おい亘理。俺は確かに任務で皇女殿下の救援に来たのであって、貴様を助けに来てやったわけではない。だがそれを差し引いても、今貴様に後頭部を殴られる謂われは微塵もないぞ」
 騎兵刀を引っ提げ、血も凍るような声音で吐き捨てる吸血鬼。ウンその眼は結構マジでおれを唐竹割りにするつもり満々ですね。
「いやそうじゃなくって。お前が串刺しにしたの、中身普通の人間なんだって!」
「なんだと!?」
 直樹が目を剥く。おれの指さす先で、胸に深々と騎兵刀を突き立てられた『南山大王』の分身が、アスファルトに倒れ込んで痙攣していた。やがて力尽きたのか、水にさらされた泥人形のように黒い靄はほどけ、消え去った。
「……セーフ」
「……だな」
 核となっていたチンピラの姿を見て、おれと直樹は同時に冷や汗を拭った。
 妖気が纏わり付いて膨れあがることで二メートルの『南山大王』の体を形成していたのだ。巨漢の左胸を貫いた騎兵刀は、実際にはチンピラ本体の鎖骨の辺りを斬り込むに留まっていた。おれ達の安堵は別に善意からではない。つまらん殺人を犯して、社会的、道義的に余計な負い目を被るのは面倒くさいし、何より後始末が厄介なのだ。
「ならばよし。……まさか貴様、皇女をタチの悪い夜遊びにでも誘おうというのではあるまいな?」
「あー、そこから仕切り直す?……ふふん。本格的な夜遊びに誘うのはこれから。今夜は前哨戦、ダンスの練習ってとこさ。……こんな感じでいいか?」
『俺の結界はどうしたッ?』
 獣が吠える。怪訝な顔の直樹に通訳するおれ。これだから海外の相手との任務は厄介なんだ。
「そんなことか。こちらには魔術破り(スペルブレイク)のスペシャリストがいるからな」
 こともなげにのたまう直樹。振り返れば黒い靄の壁が、まるでえぐり取られたように人ひとり分だけぽっかりと開いていた。アスファルトに転がる薄いアクリル板に、金色の油性マジックで無造作に書かれた、『八大副王が蛆の長(CODSELiM) 悍ましきその身で不浄を喰らい(COHABIM) 羽音を以て清めと為せ(OeuleCoaliO)』の文字。魔王マゴトの力を使役した魔術破りの呪法であった。
「チーフの魔術か」
「今回は大仕事だといったろう?生憎本人は会合で不在だが、代わりに魔力を込めたカードを何枚かせしめてきた。日持ちはしないがな」
 魔術に通暁したウチのメンバー、須恵定チーフが魔力を込めて刻んだ式である。見てくれは雑な落書きをされたアクリル板だが、そのコストは決して馬鹿にはならない。魔術と科学の違い、それは『保存が利くか』だったりするのだが――まあ今はここらへんの談義はいい。
「ついでに石動女史からこれを預かってきた」
 コートの内ポケットから取り出した金属製の筒をおれに手渡す。
「わーお……」
 円筒に刻まれた、安心からはほど遠い『試作品』の三文字。
「にしても、おれ、お前、真凛、チーフ、羽美さん。ここまでメンツを動員するあたり、所長の入れ込みようも相当だな」
「いったい幾ら皇女殿下に吹っかけたのやら、そら恐ろしくなる」
「依頼料もそうだが、これを機に海外にも営業かけようって魂胆じゃなかろうか?」
「俺はやらんぞ。仕事は関東圏内で十分だ。ネットも使えないような僻地での任務なぞ耐えられん」
「ネットも通ってねぇ僻地の出身のくせに何言ってやがる」
『何をごちゃごちゃと喋っている!!』
 与太話はそこまでだった。獣の群が一斉に身じろぎする。おれ達は一瞬視線をかわした後、左右に散った。呼応するように影どもがネオンの浮かぶ夜空に放たれ、上空から襲いかかった。もっとも厄介な真凛に『南山大王』本体が、そして直樹にと、皇女をかばうおれに分身がそれぞれ一体ずつ。互いにもつれあい、乱戦が始まった。

 分身のうち一体が直樹に飛びかかる。大ぶりで振るわれる鉄杵、かわす直樹。だがそこで獣は意外な行動に出た。鉄杵を放り捨てると、両の腕で直樹につかみかかったのだ。
「ぬっ!?」
 咄嗟に両腕を掲げる直樹。騎兵刀を取り落とし、がっぷり四つの力比べの体勢となった。他の分身を一撃で葬った刀を驚異とみたのだろう。獣の戦術は悪くなかった。双方武器の使えない組み合いに持ち込んでしまえば筋力勝負、己の勝利は揺るがない。それは正しかった。――筋力だけならば。
『――ガ?』
 原種の吸血鬼の力が解放される。
 ほんの一時。しん、と大気が静まり、音が失せた。
 それは、永遠の命と共に与えられし呪われた職能。
 世界で日々を暮らす側から、日々暮らすもののため世界を管理する側に堕ちてしまった愚者に課せられた、時空を調律するため局所的に時を停止させる力。
 『深紅の魔人』が周囲の空間の時間を停める。
 刹那の間、存在する全ての分子は完全に振動を奪われ停止する。そして時が再び動き出す際、分子は振動を再開するために周囲の空間から振動を奪い――すなわち、そこに膨大な冷気が発現する。
「おい!中に入ってるのは、社会的にはアレだが並の人間だ。ほどほどにしとけよ!」
 おれの警告にヤツは舌打ちする。
「難しい注文だ」
 直樹の両腕からほとばしった冷気が夜光を反射し白く輝き、獣の両腕が瞬く間に凍り付く。『南山大王』の術は、他者の肉体に己の妖気を縛り付けることで為されており、実体と妖気の境界が曖昧だ。だがそんな理不尽すらも『深紅の魔人』の力は捻じ伏せる。妖気が肉体を覆っているなら、その覆っている空間を凍らせてしまえばいいのだ。獣の両腕が、肩が、胴が、ゆらめく妖気ごと氷に閉じ込められていく。
『ッガ、ガァアア!ガ……!』
 断末魔の絶叫。吸血鬼が力任せに両腕を広げると、極低温で金属に貼りついた皮膚が無惨に剥がれるように、獣の上半身が引き千切られた。崩れ落ちる獣。妖気の靄を無理矢理に引きはがされ、昏倒したままの中のチンピラの顔が露わになった。
「因果応報。霜焼けと軽い凍傷くらいは許容して貰うとしよう」
 騎兵刀を拾い上げた吸血鬼は悠然と嘯いた。
「お前もさっさと片付けてしまえ、亘理」
「お前みたいな脳筋要員と頭脳労働者を一緒にするんじゃねえよ!」
 他人事風に声をかける直樹に悪態をつき、おれは獣の分身が振りかぶった爪を辛うじてかわした。一撃、二撃。なんとかかわす。
 おれに獣の一撃を見切るほどの俊敏な運動神経が突如備わった――わけではもちろんない。皇女を背後にかばっている以上、ヤツは彼女ごと傷つけるような大ぶりの攻撃は避ける。そしておれのようなひ弱な人間には、その程度の攻撃で充分、ヤツにそう考させる。ターゲットである皇女と、己自身の弱さを用いて敵の思考を誘導しつつ、おれはギリギリの範囲で攻撃をかわしていた。手にした金属筒のダイヤルを合わせる。マックスの5……いや、さすがに3にとどめるべきか。
 杵をつかわず、つかみかかってくる爪に空を切らせる。だが、身体能力を小細工で補うのもそれが限界だった。最初のダメージのせいか、足がもつれ、おれは皇女を巻き込んで転倒してしまう。諸手を挙げて、おれの首を掴まんとする獣。
 ええいしゃあねえ。どうせ二発目はないのだ。ギリギリまでひきつける。
 ――ダイヤルを4に合わせ、おれは金属筒を掲げ引き金を引いた。
 ずばむ、と爆発音が響いた。
『ガッ!!?』
 困惑の咆吼。
 獣の影は、おれの構えた金属筒から発射された玉虫色の光沢を放つ”網”に囚われていた。
 石動研究所謹製、ブレードネット。金属筒に装填された特殊な薬品が、火薬の炸裂で放射されたと同時に大気と化合し、極めて強靱な繊維を蜘蛛の巣状に形成、対象に絡みつく。異能力者を捕獲するために製作された試作武装だった。
「悪いが容赦はできないんでな」 
 おれは引き金をさらに押し込む。金属筒に内蔵されたモーターが回転を始め、
『ッガギャアァガアアア!!』
 胸の悪くなるような獣の悲鳴があたりを劈(つんざ)いた。
 この装備の悪辣なところは、ただ繊維を生成するだけでなく、金属筒内に同封された極小の工業用ダイヤモンド粉末を取り込み、鋭利なワイヤーソーとしての特性を持たせるところだった。そして化学反応の副産物として発生した大電流がネオジム磁石をアホほど突っ込んだ強力モーターに流れ込み網を巻き上げることで、
『ガギャギャアア、ギャアアアッ!!!』
 全身を言葉通りズタズタに切り刻むのであった。拘束された上に橋梁用コンクリートすら切断するワイヤーソーに全身をヤスリがけされ、黒い靄が剥がれていく。
「……ずいぶんと非人道的なやり口だな」
「お前に言われたくねえよ!」
 直樹に抗議しつつ、おれはダイヤルを徐々に落としていった。対異能力武装とはいえ所詮は一発芸。初見で仕留められなければ、二発目はまず当たらなかっただろう。生成する網の量を多くしすぎれば中の人間までヤスリがけしてしまう。かといって少なければ捉えきれない可能性がある。テストなしで適量一発を決めた技量を褒めて貰いたいものだ。纏わりついていた靄が剥ぎ取られ、チンピラの本体が露わになる。服はズタズタ、たぶん全身シャレにならないレベルで擦り傷だらけだろうが、まあ死ななかっただけありがたいと思って頂きたい。
「さて」
『まだ続けるかい?』
『き、貴様等……』
 『南山大王』が狼狽えるのも無理はない。分身三体と共に必勝の陣を敷いたはずが、増援によって瞬く間に体勢を覆されてしまったのだ。今や逆に三対一。窮地に陥ったのはヤツの方だった。皇女をかばうおれ、そしておれとヤツの間に割り込み、構えをとる真凛。
「ボク個人としてはとことんやりたいけど。退くなら追わないよ」
「おお、これは奇跡か。まさか戦闘狂に分別がつくようになるとは」
「誰が戦闘狂だよ」
『舐めるな……舐めるなよ……!!』
 退く、つもりはないのだろう。誰かに命じられたのか、己のプライドのためか。
『南山大王』は杵を水平に構えた。ふくらはぎと背中の筋肉が盛り上がり、異形の”猫背”がさらに撓められる。
「……ちょっとあれはまずくないか?」
 おれはヤツの狙いに気づいた。ヤツの攻撃は恐らく、『シンプルな体当たり』だ。杵や爪を振り回す『円』の動きを用いるから真凛に絡め取られ投げ飛ばされる。であれば、杵を横一文字に構え壁とし、そのまま己の筋力で真っ直ぐぶち当たれば良い。単純なようで、決して侮れない獣の勘だった。
「大丈夫」
 一言だけおれに返すと、真凛は構える。両腕のガードを緩め、静かに腹で呼吸を整える。無防備にも程がある体勢だったが、その表情は完全に戦に望む武芸者のそれだった。おれは役に立たない忠告を飛ばすのをやめ、直樹と共に見守った。
『殺す……殺す……コロス……コロス……!』
 『南山大王』が呪詛を繰り返す。殺意を言葉にすることで結晶化し、己の凶暴性を底までさらけ出していく。猫背が限界まで撓められ、殺意が臨界に達した瞬間。
 『南山大王』が消失した。否、人間の脳が映像を認識する1フレームの間を突破し、亜音速で大気を裂き、真凛を粉砕せんと突撃したのだった。
 
 世界が鈍化する。
 
 本来ならば、認識できるはずもない超高速の映像。だが極限の緊張下だからか、そのやりとりを認識することが出来た。
 『南山大王』が突進する。音速に迫り、裂かれた空気が気流となって周囲に撒き散らされる。真凛は棒立ちのまま反応できない。横一文字に壁のように押し出された鉄杵。大質量と超高速が生み出した巨大な運動エネルギーが、棒立ちとなった少女の胸を無惨に砕き押しつぶした――はずだった。


 雷が、地から天へと駆け上がった。
 
 そう錯覚するほどの凄まじい衝撃波が、地面すれすれから上方へと突き抜け、裂帛の轟音となって夜空を貫いたのであった。
 『……………………、ガッ……』

 『南山大王』の後頭部が、自身の尻にめり込んでいた。

 その背は再び極度にたわめられていた。
 ただし、先刻とは真逆の方向、前のめりではなく、後ろに仰け反る方向に。
 直立したまま背中を支点として背骨があり得ない曲がり方をして、頭部が尻にくっついている。
 人としておおよそあってはならない姿だった。
 その体勢のまま、一歩、二歩と『南山大王』はふらふらとよろめき。
 『ガ』
 不明瞭な言葉を一つ吐き。
 どうと倒れ伏した。

「よっし、イメージ通り」
 着地し、構えを崩さず残心の真凛。期せずして顔を見合わすおれ達。
「……見えた、か?」
「……見えた。だが、信じたくはない、な」
 緊急時に加速するおれの脳みそと、吸血鬼の眼は、今起こった事実をどうにか捉えていた。『南山大王』が亜音速で突っ込んでくるその瞬間に合わせ、真凛は跳躍したのだ。跳躍といってもほんのわずか、地面から両の足が数ミリ離れる程度のささやかなもの。だがそれで充分だった。その刹那のみ、七瀬真凛の身体は壁にも地面にも固定されない完全に自由な状態にあった。
 そこに『南山大王』が衝突し、膨大な運動エネルギーが真凛に流れ込む。本来、流れ込んだエネルギーは地面、筋肉のこわばり、骨などに乱反射することで体内に無惨な破壊をまき散らしたのち、転倒、吹き飛び、空気のふるえ……破裂音などの物理運動という形で発散される。だが、真凛は己を空にとどめ、呼吸により水のような脱力状態を作り出していた。宙を舞う羽毛を全力で殴りつけても、羽毛を砕くことは出来ない。己に加えられた力を素通しし無効化にする、打撃殺しの極意である。真凛の胸部に流し込まれた膨大なエネルギーはその身体をほとんど傷つける事無く、肉体を移動させるための運動エネルギーへと転化されていた。
 だがここで更に凄まじい事に、真凛は呼吸を腹に落とし、へそのあたりに己の『重心』を作り出していた。膨大な運動エネルギーは、へそを『支点』として円運動へと転化。上半身が後方、下方へと移動。その反動として下半身、つまり脚部が下方から前方、そして上方へと、『南山大王』渾身の突進の勢い全てを乗せて跳ね上がった。
 すなわち。
 真凛は『南山大王』の巨体による亜音速の突撃を風車のように受け止め、集約し、超音速のサマーソルトキックと為して、『南山大王』自身の顎をカウンターで蹴り上げたのであった。
 『南山大王』が常人であれば、誇張抜きに首はそのまま引き千切れてネオンの夜空の彼方へと吹き飛んでいったであろう。首をとどめたのはひとえに、獣の強靱な背骨と筋繊維の賜物だった。
「ああっ、靴が破けちゃったよ!結構お気に入りだったのに~」
 超音速の殺人技を振るった当の本人は、音の壁を越え皮が簓(ささら)のように裂けたローファーを見やり、涙目で嘆いた。
「まあ、なんだ、今度代わりの靴を買ってやるよ」
「えっ、ホント!?」
(……現場作業用の爪先に鉄板が入ってるヤツをな)
(冗談でもやめておけ、それをお前が喰らえば、首どころか脊髄ごとぶっこ抜きで残酷ペットボトルロケットを披露する羽目になるぞ)
 おれ達の小声のささやきは、浮かれる当人の耳には入らなかった。まあ、費用は成功報酬のうち、あいつ自身の取り分から引いておけばいいか。
「で、こいつはどうする?」
「このまま路地裏に転がしておくさ。そのうち飼い主が引き取りに来るだろ」
 視線の先には、塩に溶けるように体積がしぼみ、人の姿を取り戻しつつある『南山大王』。
「……もし半年早く戦ってたら、全滅させられていたかもな」
 あまりも一方的に撃破された敵に、少しは優しい言葉をかけてやりたくなる。誇張ではなかった。半年前なら真凛と『南山大王』の戦いは血みどろの攻防となり、分身を使われた時点でおれは直樹が来る前に逃げ切れず倒され、皇女は攫われていただろう。認めざるをえまい。もう足手まといでも力不足でも、ない。
「終わった……のですか?」
 おれの肩越しに恐る恐る覗き込むファリス皇女。肌から漂うかすかな香料がおれの鼻腔をくすぐった。ひとたび戦闘が始まった後、彼女はおれ達の行動に従いほとんど口を挟まなかった。素人は騒がず、専門家に任せ従うべきと弁えている。賢い人だ。
「ひとまずはな。これで決着となってくれればいいんだが」
 おれは大げさに周囲の雑居ビルをぐるりと見回し、”気づいているぞアピール”をしてみせた。気配なぞ読み取ることは出来ないが、どうせなにがしかの監視が敷かれているに違いないのだ。
「ショックか?」
 おれは皇女に声をかけた。
「いえ、判っていました。……判っていたつもりです。私を狙っていたのはやはり叔父様なのですね」
 ビトール大佐とか言ったか。腹心の軍人が襲ってきたのだ。首謀者はいうまでもなかろう。叔父、事前資料に寄ればたしかワンシム・カラーティ。颯真達が襲ってきた時点で目星はついていたが、改めて肉親から狙われていると明らかにされれば平静では居られないのは当然だった。
「気を落としなさんな。犯人がわかったのなら読みやすい。さっそく明日から叔父さんとやらの動向に探りを入れるとしよう」
「いえ、それはいいのです。……ただ」
「ただ?」
「国がこんなことになっているのに、私達はまだ身内でこんな馬鹿なことを繰り返している。それが、……情けないのです」
 俯く皇女。そこに居たのは、昼に見た絵本の世界の住人のようなお姫様ではなく、歳不相応な重責に押しつぶされそうになっている一人の少女だった。衝動的に細い肩を抱き寄せて安心させてやりたくなったが、自制した。それは立場にかこつけたセクハラというものである。結局、おれはややぎこちなく話題を接ぐことにした。
「――ところで。さっき変なこと言ってなかったか?ええっと、『アルク』とか」
「え!?」
 ファリスは顔を跳ね上げた。なぜかその頬に朱が差している。
「えーと、おれの記憶違いでなければそれはルーナライナ語では」
「いえいえいえ!なんでもありません。きっと聞き違いでしょう!」
「そうだったかな?」
「そうです。きっとそうですよ」
 ま、いいか。おれも徹夜二日目くらいはよく意味不明な単語を口から漏らしているらしいし。自覚はないが。
「よっし、とりあえず靴はなおったよ!」
 直樹が持っていた塗装用マスキングテープ(何故そんなものを持ち歩いているのか)でぐるぐる巻きにし、ずさんな応急処置を済ませたローファーを履いた真凛の声に、おれは手を挙げて応じた。周囲を取り巻いていた黒い靄の結界も晴れ、通路の向こうからネオンの光と雑踏のざわめきが流れ込んできている。振り返るとまだ元気がない皇女の顔。おれは指を打ち鳴らし、一つ提案した。
「んじゃま、今夜は歓迎パーティだな」
「パーティだと?」
「そうさ、ファリス来日記念だ。都合のつく奴全員かき集めてな」
(いや待て、たしか全員の日程を揃えて後日やるはずでは?)
(ああ、だから今夜は前哨戦さ。景気づけにな)
 どうせ今回はメンバーを多数駆り出す算段なんだ。顔合わせは早いに事はない。
「いいん、ですか?」
「ああ。たぶん宅配ピザとドラッグストアで買ってきた缶ビールになるけど」
「ふむ、飲み会の類いは気乗りしないが」
「イヤそこはお誘い嬉しいです、って言っとけよ引きこもり」
「引きこもりは余計だ。だが俺も皇女殿下にはきちんと挨拶をしていなかったからな。今回は参加させて貰うとしよう」
「……パーティ?今夜?」
「ああ。真凛、お前は予定空いてるか?酒は出せんがピザなら食えるぞ」
「うん、そだね。……空いてるよ」
 真凛がそう呟いた。

 
「亘理サン、きっと我々に気づくてイルのコトでしたよ」
 雑居ビルの屋上から闇に覆われた眼下の一部始終を視界に収め、『双睛』は主に報告した。だが、彼女の主、『朝天吼』はそれに反応を返さず、手摺りを左腕でつかんだまま石像のように硬直している。――いや、石像のように、ではなかった。よく観察すれば、その腕がぶるぶると震えていた。そしてそれを押さえつけるかのように、右腕で左腕の古傷を強く握りしめていた。
「……坊ちゃま?」
「坊ちゃまはやめろ」
 劉颯真が低く呻いた。腕の震えを押さえつけたかと思うと、今度は肩が震えだした。喉奥からはくつくつと声が漏れる。笑っていたのだった。
「竜殺し、とは聞いていたが、よもやあの域とは……!!」
 この半年、歩法と吐納法から全てを練り直した。剣で言えば、なまくらを炉に入れ直し、再度一から叩き上げたという自負がある。丹田の充実は比較にもならない。その彼にして、先ほど獣を一方的に屠った『殺捉者』の技量は想定の範囲を超えていた。半年前の奴であれば、いかなる攻守も崩し勝つ自信があった。だがしかし、これは。
「笑えるな。勝つ見込みが半分も見えんとは……!!」
 だからこそ、戦慄と、そして興奮が若き王の魂を震わせる。次に奴とまみえた時、己が誇りを砕かれ地べたを舐めているのではないかという恐怖。あれほどの強者を打ちのめし屈服させた時、いかなる退廃的な遊びに身を任せても味わえない快楽が己の脳髄を焼くであろうという甘美な期待。そうだ、そうでなくてはならない。
「美玲。師父に信(てがみ)を。――『次の戦にて、我、”七句”、”八句”、”九句”を用いる』とな」
『颯真様!?』
 常に余裕を崩さない美玲が、驚愕を露わにした。言葉も己の母語に戻っている。
『どうか再考を。四征拳九句六十五手、そのうち七句より後は秘奥、王の拳。無名の師(いくさ)で開陳するものではありません』
「構わん。あれほどの魔性を討つには、我が秘奥を注ぐより他あるまい」
『しかし、四征拳の秘奥は御兄弟の中でも颯真様のみが伝えられたもの。もしも他の御兄弟に漏れては今後に……』
「構わんと言ったはずだ」
 美玲は一礼し、一歩退さがった。それは王の決定であり、臣下がそれ以上口を差し挟む事ではなかった。
「”竜殺し”殺し。その銘こそ王に相応しい。そのためなら秘奥の一つや二つ、なんのためらいがあるものか」
 夜風を頬に受け、若き王は獰猛な笑みを浮かべた。
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|コメント(-) |トラックバック(-) | 2016年08月16日 (火)21時00分
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