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人災派遣のフレイムアップ 第7話 『壱番街サーベイヤー』 14

「じゃあじゃあ、ファリスさん、せっかくだからカレーうどんを食べましょうよ!」
 
「本当ですか!それはとても楽しみです!」
 
「はいはい、じゃあ今日の昼はカレーうどんな。真凛は自分で払えよ?」
 
 
 ――学生街である。いざ昼飯となれば、安くて量が多く良心的な店はたくさんあり、むしろチョイスに困るほどだ。ファリスと真凛の希望を聞き入れ、おれ達はさして苦もなく食事にありつくことが出来た――
「……はずが、どうしてこうなった……」
 おれは目の前のテーブルに載っているどんぶりを見て、頭を抱えた。
「カレーうどん、だよ、ね……」
 カウンター席の隣で同じものを注文したはずの真凛もどんぶりに釘付けになった視線を逸らすことが出来ない。そこにあるのは黒色でごく標準的な大きさの、麺を盛るためのどんぶりであり、中に収まっているのは程よく茹で上げられたうどん、のはずである。
 だが。

 赤い。
 
 赤いのだ。
 
 緋色(スカーレット)、鮮紅色(クリムゾン)、いや、もはや赫(クェーサー)と表現すべきであろうか。漆黒のどんぶりの中に、マグマのようにどろりと重く赤い油が流し込まれ、白いうどんを呑み込み覆い尽くしている。目をこらせば、油の正体はカレーであり、その赤灼した色は、なんかコズミックでケミカルな密度で濃縮された唐辛子などの各種スパイスによって構成されていることが判じられるだろう。その上にはブロック状の豚肉が乗せられており、脂がとろけそうなまでに赤辛く煮込まれたそれは、大気すらまだない始原の星に、天から投じられた巨大な隕石(メテオ)を連想させた。
「陽司、ボク、カレーって黄色いものだと思ってたんだけど」
「その解釈で合っている。これは例外だ。……とびきりのな」
「はーイ、ナロック特製レッドカリーうどん三つお待ちしましタ~」
 硬直するおれ達の横で、高田馬場の名物タイ料理店『ナロック』の店長さんがトレイ片手に屈託のない笑顔を浮かべた。
 カレーうどんを食べるべく学生街に繰り出したおれ達だったが、目星をつけていた店はいずれもランチタイムを終えて夜に向けて仕込中だった。スケジュールにあまり余裕のなかったおれは深く考えず、『アル話ルド君』で適当に検索をかけ、「近場で他にカレーうどんを食べられる店」と打ち込んだナビに従いを入店したところで、ここが『ナロック』だった事を今さらに思いだしたのである。
 高田馬場に最近出来たタイカレー店、『ナロック』。特筆すべきは、辛口で有名な本場のタイカレーすら上回るほどの、唐辛子を中心としたスパイスを遠慮仮借なくぶちこんだ一切妥協のない炎のような激辛レッドカリーである。その辛さは凄まじく、珍し物好きで体力だけはある新入生達が度胸試しで食いに行っては、何割かがぶっ倒れるのが恒例行事となりつつあるとの事だ。
「まさか新メニューでカレーうどんを始めていたとはなぁ……」
 『カレー屋』で探していれば即座に気づいていたであろうに。我ながら今ひとつ迂闊なこのデジタル思考を呪いたくなる。
「なんか凄そう、だね……」
「ま……まぁ、美味いって評判だし、とりあえず食べるとしようか」
 どんぶりから立ち上る湯気が、ひりひりと肌を刺すのは錯覚ではあるまい。おれ達は覚悟を決めて割り箸を手に取ると、厳かに宣誓した。
「いただきます」
 先陣を切ったおれは灼熱の海に箸をつっこみ、うどんをひきずり上げて啜り込む。その瞬間、刺激性の強い高温の空気が呼吸器系に流れ込み、
「ぶっほごふっぶむっ!?」
 おれは盛大にむせた。
 むせた瞬間にうどんつゆ、というかカレーが鼻腔に飛び込み、高濃度のカプサイシンが鼻粘膜をダイレクトに焼いた。肺から空気を排出する反射行動と、刺激物を押し戻すべく空気を吸入する反射行動とが相反し、錯乱した横隔膜がみぞおちの奥でへたくそなタップダンスを踊った。
「ちょっ、だ、大丈夫!?」
 椅子の上でのたうち回るおれの背中を慌てて真凛がさする。おれはそれにかろうじて左手を挙げて応え、どうにかパニック状態の呼吸を落ち着けると、コップの水を慎重に飲み込んだ。
「――――はぁ、はぁ。……強烈だな、これは」
 一分ほどの深呼吸でようやく平常心を取り戻し、おれは感想を述べた。まだ鼻腔と舌先に爛れるような刺激が残っている。胃のあたりにはかっと熱いものががわだかまっており、この辛さが単なる味覚の刺激にとどまらず、人体に重大な影響を与えうるものだと言うことを示している。
「うっあ、これ、ホントに辛いね……!」
 撃沈したおれに倣う愚を犯さず、レンゲにすくったカレーをひとなめした真凛が眉をひそめる。おれ達は顔を見合わせると頷き、箸を置いた。普段ならともかく、今日は激辛カレーで度胸試しをしにきたわけではない。お店の人には悪いが、店を変えてもう少し無難なメニューを食べた方が――。
 ずる、ずるるずるるるるる。
 豪快な音がとどろき渡る。反射的におれはその方向、つまりは反対側の隣の席を振り返った。
「これが日本のカレーうどん……。とても美味しいですね!コシのある麺にスパイスの効いたスープが調和していて、とても食べ応えがあります!」
 ずるるるる、ずるるるーッ。
「……」
 唖然として見守るおれ達の目前で、月光のような銀髪を備えた褐色の美姫の桜色の唇へ、白いうどんと灼熱の汁が新丹那トンネルに突入する東海道新幹線のごとき勢いで啜り込まれてゆく。おれ達の視線に気づき、ファリス・シィ・カラーティは赤面して箸を置いた。
「あ、あのすみません、日本ではおうどん、おそばを食べるときは音を立てるのが作法と習っていたのです。不作法でしたでしょうか?」
「ああいや、そこは全然問題ないのだが」
「辛くないんですか?」
「確かに辛いです。ですが、様々な辛さが素晴らしいバランスでまとまっているので、不快な辛さではなく、むしろ麺自身の味を引き立てる形となっています。日本にここまで香辛料を扱えるお店があるとは驚きです」
「そ、そういうものなんですか?」
「ふむ……」
 そう言われると、おれも未練が湧いてくる。実のところ、先ほどの辛さはまだ舌先に残っているが、決してまずいわけではなかった。鼻を灼いた強烈な刺激も時間が経つと、鮮明な香りとして感じられるようになっている。気を取り直して、おれは慎重に麺をすくい、再びすすった。
「……!、やっぱ辛い、けど、結構イケる、な」
 まぶしい光の下で何も見えない状態から、段々目が慣れると周囲の状況が解るように。舌が慣れ、辛いだけとしか思えなかった中から徐々に微妙な味の判別できるようになってきていた。なるほど確かに、このレッドカリーが決してただ強い刺激を求めたキワモノではなく、厳然とした一品の料理であるということが理解できる。なるほど、競争の厳しい高田馬場の学生街を、ただ辛いだけで生き残れるはずがない。激辛でありながら絶妙のスパイスの構成、とろける豚肉との組み合わせ。辛い辛いと言いつつもやめることが出来ず完食してしまう者が後を絶たない悪魔のカレーという評判も、今なら納得だ。
「あまり冷たい水は飲まない方がいいと思います。辛さが長引くので」
「アドバイスサンキュー。……へぇ、だんだんイケるようになってきた。この角煮、柔らかい上に味がきっちり染み渡っていて極上だ」
「おいしいですよね?」
「あぁ。美味いね」
「う~ん、でもボクはやっぱり苦手かなぁ」
「まぁ、お前にはまだちょっと早いわな。無理しなくていいぞ。別の頼むか?」
 もともと味覚というものは年齢によって変化する。甘いチョコレートやコーラが大好きだった子供が、大人になるにつれ辛い酒だの苦いモツ鍋だのを好むようになるのもそのせいだ。――と、ここまで思考した時点で後悔した。どうせコイツのことだ、子供扱いするなとか、また店の中でわめき立てるに相違あるまい。
「……いいよ。頼んだんだから、ちゃんと最後まで食べる」
 だが、真凛はそれだけ言うと、積極的に箸をつけてうどんを啜り始めた。むぅ、辛いものを食ったせいで喋る気が失せたか。
 
 ランチタイム後の客の少ない店内に、男女三人がうどんを啜る音がしばし響く。三者三様、どうにか激辛うどんをあらかた食べ終える。摂取した高濃度のカプサイシンが、腹に収めたうどんが今まさに消化器官のどこにあるかを雄弁に主張していた。人心地つくと、おれ達の話題は自然とこれからの予定についてのものへと移った。
「今日はこれから学校見学して、『鍵』を探すのは明日から?」
「まぁそうなるだろうな。『鍵』が見つかるまでファリスはウチの事務所に泊まって貰うことになるけど、かまわないかい?」
「かまわないどころか!お礼を申し上げなければなりません。本来ならホテルに泊まるべきなのに」
「気にしない気にしない、どうせ最初に君が払った依頼料に宿代も込みだろうからね」
 彼女を護衛しつつ『鍵』の捜索。なるほど確かに大仕事である。
「でもさぁ」
「あん?」
「何日ぐらいかかるんだろう?ボクも毎日ってなると、その、学校が」
「そこなんだよな」
 ひりつく舌を労りつつ、おれは朝からドタバタ続きだった状況を整理する。
「結局の所、『鍵』があるのは日本のどこか。日本と言っても、北海道から沖縄、離島だってある。それこそ九十九里浜でダイヤモンドを一粒探すようなもんだよ」
「なんで九十九里浜?」
「気にすんな。そしてもう一つ、『鍵』が日本にあるという情報そのものの真偽。まぁ、セゼルがこんな凝った嘘をわざわざつく理由もないとは思うが、数十年前に隠した暗号が、まだこの世にちゃんと形として残っているという保証もない」
 実は考古学なんかの世界では、”宝の地図”というものは割と見つかるのだ。貴重な遺跡の所在地を記した文献や、貴族の屋敷跡から発掘された財産の目録など。だが現実は散文的なもので、そもそも文献の情報そのものが、当時の噂や伝聞をもとに書かれた誤りであったり、確かに当時はそこに財宝があったものの、数百年前の火災でとっくに焼失していたり。”宝の地図”を正しく解いても、宝にたどり着けないことの方が圧倒的に多いのである。先日の幽霊騒ぎでもあったが、『探す』任務でいちばん厄介なのは見つからないものを『ない』と証明することだ。ファリスも何時までも日本に滞在するわけにはいかないだろうし、ウチもあてどもない捜索をずるずる続けるわけにはいかない。
「それは、確かにそうですが」
 口ごもるファリス。おれはしばし彼女の表情に視線を置く。彼女の言葉は続かなかった。――いい機会、か。
「まぁ、それはこっちで何とかするよ。それよりもう一つ、もっと重要で根幹的な問題がある」
「なん、でしょう?」
「……おれが口を出していいものかどうかは、わからないけど。たぶん、依頼に取りかかる前に、この問題はクリアしておく必要がある」
「どういうこと?陽司」
 不思議そうにおれを見る真凛とは対照的に、視線を赤いカレーうどんに落とし沈黙するファリス。おれは腹に一つ力を入れ、いずれしなければならない話を、ここで切り出すこととした。
「仮に『鍵』が見つかり、暗号が解け、ルーナライナの最後の大金脈が見つかったとして。……それで、君の国は救われるのかい?」
 ファリスは頭を上げなかった。
 そう、この聡明な王女が、そもそもこんな簡単な問題に気がつかないはずがないのだ。
 視線を落としたまま、膝の上に置いた両の拳を、微かに震わせた。
 
 根源的な問題。
 もしも、最後の金脈の在処が彼女の国にもたらされたとしたら、何が起こるか。
 何も変わらない。分裂した諸勢力は歓喜の声を上げて金脈に殺到し、銃でその土地を奪い合い、勝ち取った者がまた、老若男女を問わず民衆を奴隷のように働かせ採掘させるだろう。金鉱が何年持つのかは解らないが、それで終わりだ。黄金は同胞を撃ち殺す銃と引き替えに諸外国に吸い上げられ、ルーナライナには凶器と廃墟と死体と怨恨しか残らない。
「君はおれ達に、『鍵』を見つけて、ルーナライナを救って欲しいと言った。でも『鍵』を見つけてもたぶんルーナライナは救えない、んじゃないかな」
 なるべく言葉を選んでいるつもりだが、彼女を傷つける事になることも覚悟していた。結局のところ彼女の依頼は、一つの国の内戦を収めて欲しいということでもある。そして、身も蓋もないことを言えば、しょせん遠く離れた日本の学生バイトになど解決できるはずがないのである。例え、おれ達に今以上に常人離れした力があったとしても。
 だからここではっきりさせておかなければならない。『鍵』を見つけることが国を救う事にはならないという事を。おれ達に出来るのは『鍵』を探すことまでだという事を。国の危機を救うのは、通りすがりの冒険者ではない。国を支配する者と、その国で生きる人々でなければならないのだ。魔王を倒したり伝説の秘宝を手に入れることでは、現実の戦争は終わらせられない。
「……隠された『鍵』を見つけて、ルーナライナを救って欲しい、というのは父の命令でした。それは間違いありません」
 しばりの沈黙を、ファリスが割った。
「対となる『鍵』も確かに、父から受けとったものです。でも、父はこうも言っていました。……見つかるまで、帰ってこなくていい、と」
「帰ってこなくていい?ちょっとそれって……」
 ひどい、と言いかけた真凛が口をつぐんだ。そう、ひどくはないのだ。今の彼女の故郷の状態を思えば。
「父も、この金脈の在処をそこまで信じていたわけではなかったと思います。私が見つけられる可能性も。私を海外に逃がす口実と半分半分。たぶんそんなところじゃないでしょうか」
「ファリスさん……」
「父の意志にはすぐに気づきました。成功は期待されていない、ということも」
 寂しげに笑う皇女。
「なら、受けないことも出来たかもな」
「……はい。もしかしたら、断ってルーナライナに残ることも出来たかも知れませんね……」
「でも、結局君は日本に向かうことにした。それはなぜ?」
 おれの質問に、彼女は驚いたようだった。もしかしたら、彼女自身も己にその問いかけをしたことがなかったのかも知れない。
「……あそこに居ても、私に出来ることは何もないんです」
「それは、どういう意味かな?」
 おれは意図的に、反応をシンプルなものへと絞っていった。彼女に必要なのは、たぶん、自問自答のための、鏡だ。
「王族の仕事は、その立場を利用して国の役に立つことです。その財力を利用して産業を興したり、文化を保護したり、国の広告をしたり」
 真凛がおずおずと手を挙げた。
「あのぅ、お姫様ってこう、お城の中でおいしいご飯を食べて、毎晩舞踏会をしてるものかなあ、と」
「お前それ、幼稚園の頃読んだ絵本のイメージしか頭の中にないだろ!?」
 ちなみに食事や舞踏会も、人脈を築くという重要な仕事の一つである。パーティーを仕切り、人を人に紹介したりするホストとしての器量が求められ、なまなかな実力では務まらないのだ。
「学生時代に懇意にさせて頂いた他国の皇族の方にも、そうして社会で活躍している人がもう何人も居ます。……私には、いずれもそれらの力はありません。皇女などと言っても、人を動かす権限も、国のお金を使う権限もないんです」
「でも、『鍵』を探すことなら出来る。そういうことかい?」
 おれの言葉に、彼女はしばし考え、そして静かに頷いた。
「そう、ですね。『鍵』を見つければ、少なくとも、金鉱が尽きて国が崩壊するまでの時間を稼ぐことは出来るはずです。城の中に残って何も事態を打開できないよりは、まだまし。そう考えたのかも知れません」
 瞑目し、言葉を紡ぐ。
「それに、……そう、私に『鍵』を使いこなすことが出来なくても、叔父様達にだけは渡すわけにはいきません。彼らの手に落ちれば、亘理さんの言うとおり、さらなる内戦の火種になるだけです。それだけは――見過ごすことが出来ないんです。だから、私は『鍵』を手に入れなければならないんです」
「――そっか」
 おれは両手を頭の後ろで組んで、天井を見上げた。
「やっと、君の顔が見えてきた気がするな」
 わざと意地の悪い笑顔を作ってみせる。
「……私も、国を出てから今の今まで、自分がどうしたいのかが自分でも解っていなかったんです。でも。貴方に話をしているうちに、少し整理がついてきました。ありがとうございます」
「礼を言われることじゃないさ。判断に迷う時、他人との会話で自分の意見を整理するのは有効な手段だ。――これで決まりだな。まずはとにかく『鍵』を見つける。颯馬や玲美さんに取られる前にな。その上でそれをどう使うかは、ファリス、君の判断次第だ」
 そういうと、おれは彼女の前に右手を差し出した。
「あの、亘理さん……?」
 目を丸くする皇女殿下。
「本来ならまだ君くらいの年なら、そこまでの責任はないはずだ。でも君が現状でやれる事をやろうと思う、その姿勢に敬意を払う。……偉そうな物言いでごめんね。雇われの身だけど、おれでよければできる限り力になるよ」
 正直、アイテムを手に入れれば国が救える、程度の認識しかないようなら、必要最低限の役割を済ませて、日本に留まるなり帰国するなりを選んで貰おうとも思っていたりしたのだが。……まぁ、頑張ってる子は応援したくなるじゃないか。
「よろしく、お願いします」
 おずおずと腕を伸ばすファリス。
「よろしく」
 おれ達は握手を交わした。皇女の手は少しつめたく、柔らかかった。
「……ねぇ」
 横からのぞっとするほど平坦な声。おれが思わず振り返ると、真凛が恐ろしく思い詰めた表情でこちらを見つめていた。
「な、なんだよ」
 真凛の顔色は蒼白。さっきまでの闊達さが消え失せ、なんだか泣き出しそうな目をしている。
「い、言っておくが今回は下心はないぞ、もともとおれは年下に興味は――真凛?」
 おれ達に向けた視線が機械的に下へとかしぎ。
 ごとん、と。
 七瀬真凛はテーブルに突っ伏したのであった。

 
「……大丈夫かおい?」
「う……うん、大丈夫だいじょうぶ、へいきへいき」
「脂汗を垂らしながら言っても説得力ねぇぞ」
 口では平気と言いながら一向に椅子から立ち上がる様子を見せない真凛。こりゃどう見ても、アレだな。
「――ここ痛いか?」
アバラと下腹の境目あたりを、かるく指で押してみる。
「ぴゃあ!?」
 感電したように身体を震わせる真凛。どうも当たりらしい。
「こりゃ腹じゃなくて胃だな。あんまりにも辛いものを食ったから、胃壁に刺激が来てるんだろう」
「病気などではないのですか?」
「素人見立てだが、安静にしていれば問題ないと思うけど」
「良かった……。でも、どうしましょう?」
「救急車を呼ぶほど大げさではなし、かといって家や事務所に連れ帰るには大変、か。……すみませーん」
 困ったときはその場の責任者に聞けば、それなりに解決方法を知っているものである。
「はーイ?」
 店の奥からさっきの店長さんが応じる。すると彼女は真凛を一目見るなり、
「もしかしテ、お腹痛くなったですカ?今、お水と薬もってきまス」
 そう言って、店の奥に薬を取りに戻っていった。ファリスが真凛の背中をさすり服装をゆるめ、おれは他のお客さん達に簡単に事情を説明しお詫びする。こうして、おれ達の午後の予定は大幅な軌道修正を余儀なくされることとなったのであった。
 粉末の胃薬をぬるま湯で流し込んで十分ほど経過すると、脂汗は止まり、真凛の体調は明らかに上向きになったようだった。だが未だ腹を抱えてグロッキー状態のままであり、到底動けそうにない。いざ戦闘となればヘビー級ボクサーのボディーブローに耐え抜く腹筋も、内側からのダメージにはなんら役に立たないらしい。
「ごめん……また足引っ張っちゃった……」
「いや、おれも悪かった。もっと無難な店にすべきだった」
「ううん、ボクが調子に乗って食べたからだよ……」
 とはいえ、そんな調子でいられると、多少はこちらにも思うところはある。
「すまん」
「謝らないでよ……」
 微妙な沈黙。うむむ、いつぞやの反省を踏まえ、今回は素直に非を認めているつもりなのだが、何故こうなるのか。
 と、ファリスの腕時計からひとつ、小さなアラームが鳴った。
「あっ」
 時計を覗き込んだファリスがちょっと気まずそうな表情になる。律儀な彼女はサホタ達との約束の時間に合わせ、タイマーを設定していたのだった。
「亘理さん、ここは一旦出直した方がよいのではないでしょうか」
 それを耳にした真凛が、力なく遮る。
「いいよ……ボクここで休んでいくから……二人はサホタさんとこ、行ってきて……」
「さすがにまずいだろうそれは」
 置いていくのも問題だが、お店にも迷惑がかかる。
「かまいませんヨー、これからディナーに向けてお店一旦しめますかラ」
 見れば店長さんの手には派手な刺繍の施されたブランケットと枕があった。おれが何か言う前に手早く真凛にかぶせ、そのまま座敷に寝かせてしまう。
「初めてウチのカレー食べた人、よくこうなりまス。薬飲んで二時間くらい休めばだいたいヨクなりまスから」
 ニコニコと笑う店長さん。どうも本当にこんな事態には慣れっこらしい。
「……すみません、それじゃあ、ちょっとお願いします。じゃあ大人しくしてろよ真凛、終わったら戻ってくるからな」
 出来れば一日浪費したくないというのは事実だ。ここは店長さんの好意に甘えておくべきだろう。
「……うん、気をつけて」
「いやまあ、特に気をつけることもないんだが」
 ブランケットにくるまって手を振る真凛に軽く手を挙げて応え、おれとファリスは店を後にした。
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人災派遣のフレイムアップ 第7話 『壱番街サーベイヤー』 14-b

「何やってるんだあの間抜けは」
 パイプ椅子にどっかと背を預け、颯馬は額に手を当てた。紅華飯店の三階、商用客のミーティングやプレゼンテーションに使われる会議室の一つである。マンネットブロード社の派遣社員は仕事にあたる時、交通の便、ネットインフラ設備の充実、依頼人とのコンタクトなどの観点から、ホテル内の会議室を前線基地として使用することが多々ある。颯馬達がいるこの部屋もまさにそれで、高級な内装にそぐわない実用一辺倒の折りたたみ机や椅子が並べられ、卓上に置かれたノートPCからは、監視にあたっている部下の記録した音声がリアルタイムで再生されていた。
「任務中にカレーで腹を壊すなんぞ、プロの自覚があるのかアイツ」
 憮然としてつぶやく。さすがに店内の様子まではわからないが、ファリス皇女と亘理の会話を拾えば、だいたいの内容はわかった。
「七瀬真凛サン、ですカ。最年少のフレイムアップメンバー。この間、『竜殺し(ドラゴンバスター)』の称号も得た、聞いてマス」
「ふん。武技の研鑽は怠っていないようだな」
 美玲の言葉に、颯真は嫉妬を隠さなかった。『竜』の異名を許された化物を打倒した者のみに与えられる、『竜殺し』の銘。武術に生きる者にとっては、エージェントとしての実力や格付けとはまた別の、垂涎の称号である。
「近頃彼女のコト、ウチの社員達からも人事課へ問い合わせあるようですネ」
「だろうさ。ウチの前衛はどいつもこいつも社員である前に武芸者だ。強い者がいたら手を合わせたくなるのはもう本能みたいなもんだろ」
「無名の新人(ノービス)から、追われる側(ターゲット)になテきてるてことデス。ご本人、自覚ないようですガ」
「渡さんさ、他の奴になんぞ」
 左の袖をまくる。肉を毟りとられた無惨な傷の跡が、ミミズのようにのたくっていた。外見で相手を侮り無造作に放った崩拳の、高価な代償(つけ)。地仙の元で鍛え、神童、並ぶ者なしなどと謳われ増長した小僧への、手厳しい実戦の洗礼だった。
「あれから半年。鍛錬と大物喰いを為したのは、お前だけじゃないぞ」
 唇の端が曲がる。それは武芸者としての誇りと、好敵手に対する若者らしい敵意が混じり合った、物騒な笑みだった。
「坊ちゃまの出番、まだ後。今はフレイムアップが暗号探す、待ちでいきまショウ」
「だが、何もしてないわけじゃないんだろう?」
 颯馬の問いに、美玲ははて、と惚けた表情を浮かべる。
「冗談はよせ。七瀬の相棒はあの古狐よりたちの悪い亘理だ。今のうちに仕込みを済ませておかねば遅れをとることくらい、俺にもわかる」
 惚けた顔から一転、なんとも曖昧な笑みへと変わる。称賛と艶と、そして毒。
「坊ちゃま、日々成長私嬉しいのコトです。でも王様、細かいこと考えずどーんと構えてればいいデス。細かいことするの、臣下のシゴト」
「……だな。では存分に勤めを果たせよ、美玲」
『お任せあれ』
 リズミカルな中国語で返答する美玲。とその時、卓上に置いてあった携帯電話がうなりを上げた。
『もしもし?……ええ……ええ……なんですって?わかったわ。……そちらは、引き続き監視と報告を』
 電話を切った美玲の表情には困惑が浮かんでいた。相手は今回の任務に従事している監視員のひとりだ。
「どうした?」
 しばしの逡巡の後、彼女は答えた。
『ビトール殿が、動き出したと』
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|コメント(-) |トラックバック(-) | 2015年10月24日 (土)13時16分

人災派遣のフレイムアップ 第7話 『壱番街サーベイヤー』 15

「ここが留学生向けの部屋ですか……」
 物珍しげに部屋を見回すファリス。留学生向けの寮は二人相部屋となっており、八畳の部屋の両側にベッドと机が据え付けられていた。右側は香雪のものらしく、壁は某アイドルの特大ポスターで覆われ、机とベッドにはCDや本、紙袋やバッグ各種が雑然と積み上げられている。かたや対面のナターシャの机は整然と片付けられ、本棚には見ただけで陰鬱になりそうなロシアの分厚いブンガクショがずらりと鎮座ましましていた。
『んじゃアタシ達はみんなで池袋に飲みに行ってくるからサ。その間この部屋をゆっくり下見してってよファリスちゃん」
『急な話ですみません、香雪さん』
『いいっていいってー。アタシもナターシャが抜けた後次に入ってくるのがファリスちゃんだったら嬉しいしね。あっ、陽司は三和土から一歩でも上がったらコロすからね』
『ふふん、おれは用もないのに女性の私室に上がり込むほど不埒ではないぜ?』
『へぇー、じゃあ用があれば上がり込むんだ』
『ま、長居はしないがね』
『それでは亘理さん、終わったら鍵は管理人さんに電話して預かってもらってくださいな』
『おー、ありがとさん』
 ナターシャ達にお礼を言って送り出す。他人が自室へ出入りすることへの気楽さは、さすが毎晩部屋飲みをやっている寮生といったところか。ちなみに直樹あたりは例え姉の来音さんであろうと部屋に寸毫たりとも立ち入ることを絶対に許さないらしい。
 扉が閉まると、ファリスは玄関を上がり、部屋の中を確認する。
「机とかベッドは、新しいものみたいですね」
 その様子は、どことなく落ち着かないように見えた。
「残っているわけ、ないですよね……」
 無意識の呟きには、かすかな失望と、安堵が含まれていた。そこに、おれは一つ言葉を放り込んだ。
「――『鍵』の手がかりは、ここにはなさそうだね」
「えっ……」
 反応を観察する。その一瞬、瞠(みは)られた彼女の紫の瞳に走った驚きは、『何を訳のわからないことを言っているのか』ではなく、『なぜ知っているのか』だった。
「ああ、やっぱりそうなのか」
「亘理さん、貴方は……」
「ごめん、カマをかけるような真似をしちゃってさ」
 おれは一つため息をつくと、玄関の横に据え付けられた鏡を見た。映り込んだ、誰とも知れぬ他人の顔。
「いくらセゼル大帝の遺言だとしたって”日本にある”なんて曖昧すぎる話だけじゃ君だって動けるはずがない。情報はないにしても、多少の目星くらいはつけていたんじゃないか、ってね。……この部屋に手がかりがあると思ったんだろう?」
 しかし、ここに至ってそんな手がかりを彼女がおれ達に隠すメリットはない。となれば、考えられる今の彼女の心情は。
「な、何を言っているんですか、ここに来たのは、ただの部屋の下見ですよ?」
 その手がかりが、当たりであって欲しくない――とか。
 
「アルセス・ビィ・カラーティ」
 
 その単語に、ファリスはまるで雷に打たれたように身を震わせた。
「なぜ、その、名前を」
「……おれなりに『鍵』のヒントを探ろうと思ってさ。実は今回の依頼を受けてから、片っ端からルーナライナと日本をつなぐ記事を検索してたんだ」
 そう言っておれは自分のこめかみを小突く。
「検索……新聞記事が頭に入ってるとでも?」
「ここ数年分の日経とニューヨークタイムズだけだけどね。あとは近所の図書館の書庫で一ヶ月かけて流し読みさせてもらったトピックスをプラス十年ほど」
 おれの言葉をタチの悪い冗談と受け取ったのだろう、ファリスは怒りよりもむしろ、悲しげな瞳でおれを見つめた。その憂えるアメジストにおれは一秒で降参。くだらない特技自慢はやめにして話を進めることにする。
「まあ、日本とルーナライナの繋がりといえば、技術交流と留学くらいしかない。『鍵』に繋がりそうな情報は思い出せなかった。……『相盟大学』というキーワードが手に入るまでは。過去にルーナライナから相盟大学に留学した人物は一人しか居ない」
 唯一の留学生。つまりは、この部屋のかつての主。
「アルセス・ビィ・カラーティ。相盟大学理工学部への留学生にして、大帝セゼルの曾孫。君にとっては、お互いの父親が従兄弟同士。いわゆる、”はとこ”だね」
 だが、アルセス氏をただのいち留学生と呼ぶには、いささか無理があった。
「存在に気づけば、彼と『鍵』の関係を結びつけるのは難しくない。何しろ彼は、」
「――”ルーナライナの売国奴”、でしょう?」
「……ファリス?」
 涼しげな声。美しい発音には何も変わりはないのに、それはまるで新月の砂漠のように、どこまでも乾き澄み渡った虚ろな闇を思わせ、おれの背筋をかすかに震わせた。
 
 血を絶やさぬ事が義務とされ、十代で子供を設けることが当たり前とされるルーナライナ王家にあっては、大祖父と成人した曾孫が同じ時代に存在することも決して珍しくない。アルセスは第二王子の血筋で、当時の王位継承権は十位以内。孫や曾孫達の中でも抜きんでて聰明であり、セゼルの後継者として最も期待されていた王子だったという。
「今でこそ第三皇女、なんて肩書きですけど」
 どこか他人事のようにファリスは呟いた。
「元々私は、領地も持たない傍流の王族。それに正妻の子でもありませんでしたから、子供の頃は、王宮で他のはとこ達の小間使いみたいな仕事をしていました」
「……なんか本当に、ファンタジー世界の話を聞いている気になるよ」
「でも、そんな中でもアルセス王子は、私や他の子達にも、分け隔てなく接してくれる人でした。私も物心つく前から、しょっちゅう彼の後をついて回っていたそうです」
「だけど。アルセス王子は、日本への留学が決まったんだよな?」
「はい。その頃は既に、アルセス王子はセゼル大帝の右腕となるべく、国の仕事を幾つも担うようになっていました。そして、その仕事の一環として日本へ留学することとなりました」
 モラトリアム延長のために『語学の勉強』と称して海外に留学するようなおれの友人どもとは異なり、開発途上の国から国費で留学してくる学生は、政治や経済のシステム、技術を学び、あるいは人脈を構築し、国に還元するという使命がある。アルセスもおそらくは、日本の技術を学び、あるいは将来のジャーナリストや政治家、起業家の卵達と交流をするという目的があったのだろう。だが。
「そこでアルセス王子は……彼は、とある日本の企業と接触を持ちました。ルーナライナの、金脈の情報を、渡そうとしたのです」
「ファリス?」
 最初に感じた、新聞記事を読み上げるような口調。失われていく抑揚。
「ルーナライナの金脈の情報を漏らす。当然それは、セゼル大帝が敷いた鉄の掟に違反するものでした。発覚した後、アルセス王子は直ちに拘束。国元に召還され裁判を受ける身となりました」
「ファリス、」
「当時、もっとも信を置いていた皇族の裏切りは、セゼル大帝を激怒させるに十分たるものでした。結果、アルセス王子はルーナライナの国益を大きく損ねた売国奴として、見せしめを兼ねて、他の皇族立ち会いのもと、郊外の砂漠にて斬首の刑に――」
「ファリス、もういい!」
 彼女の肩を強く揺さぶる。淡々と流れていた言葉は、スイッチを落としたように止まった。
「すまん、おれの考えが足りなかった」
 他の皇族の立ち会いもと斬首。彼女はそう言った。つまり。おそらく、彼女は――自分が子供の頃大好きだった人の、首が切り落とされる光景を目の当たりにしたのだ。
「無理をするな、今日はいったん引き上げよう」
「いいえ、大丈夫です……」
 皇女は力なく笑った。
「亘理さん、こう考えていたんでしょう?セゼル大帝の隠した金脈とは、アセルス王子が売り渡そうとしていた金脈のことじゃないか、って」
 おれは頷いた。そもそも徹底して金脈の情報を管理し、『漏らしたら死刑』を実践までしたセゼル大帝が、金脈の情報をわざわざ日本に隠す理由などないし、ましてや意地の悪い宝探しゲームを仕掛ける理由は全くない。だが、『信頼できる親族に、後継者として預けた』のであればどうだろうか。『アルセス王子だけが知る大金脈の情報』があれば、彼が後に王位を継承する時に当然発生するであろう、他の親族との権力争いに強力な武器となったはずなのである。そしてそれを他国に売り渡そうとしたのであれば……セゼルにとっては、二重に許せない裏切り行為だっただろう。
「当時、アルセス王子が接触していた企業が、その後金の採掘に着手したという事実はない。とすれば、アセルス王子が持ち出した金脈の情報は、セゼルの元に回収されたか――あるいは、行方不明になった」
 だからこそ『見つけることができれば、金脈の情報がわかる』という形になった。そう考えれば、辻褄は合う。だからこそ、アセルス王子の滞在した部屋に、何かの手がかりがあるだろうと踏んだのだが。
「そう、ですよね。アセルス王子の盗み出した情報。やっぱり、それしか考えられませんよね」
 皇女は深く息をついた。
「滑稽な話ですよね、国を救うため『鍵』を手に入れたいなんて言って、その手がかりも持っていながら、……こうして実際に日本に来るまで、その事実になるべく目を向けないようにしていたのですから」
「本当に目を向けようとしていなかったのなら、そもそもこの部屋を見てみよう、なんて気にはならなかったんじゃないかな」
「え?」
「ひとつ疑問があるんだ。アセルス王子は、なぜリスクを冒してまで、日本の企業に情報を売り渡そうとしたんだい?」
「それは……採掘を進めるにあたって、日本の企業の力を借りようとしたのでは」
「確かに、そうとも思えるけどねぇ」
 おれは首を傾げた。
「まあいいや。とにかく、留学生だったアセルス王子が何か大事なものを隠せた場所は、決して多くはないはずだ。自分の部屋、心を許せた友人、研究室。この三つに絞って進めてみよう」
「……はい。でもやっぱり、この部屋にはアセルス王子が使っていた頃の私物は残っていないようです」
「そりゃあそうだな。でも手がないわけじゃない」
 おれは軽薄に言うと、『アル話ルド君』を取り出し、先ほど聞いた番号にコール。
「あ、どうも管理人さんですか。――ええ、鍵を返す前にちょっと教えて欲しいんですが。留学生が寮を出る時、いらなくなった荷物はどう処分するんですか?――ええ。ええ。いや実は十年近く前に、ルーナライナの留学生が荷物を残したまま国元に急遽帰らなくてはならなくなった事がありまして。たまたま親戚の子が来日してその行方を――引き取った?――ええ。ええ。――わかりました、ええ。ありがとうございます」
「荷物は捨てられていなかったのですか!?」
 おれが通話を切ると同時に、視界に切羽詰まった皇女の顔が飛び込んできて、思わずのけぞってしまった。
「あ、ああ。アセルス王子の私物は、彼が所属していた研究室の人たちが、資料や書籍と一緒に引き取ったらしい。急に国元に帰って、戻ってくることもなかったなんて事態は珍しいんで、管理人さんもはっきり覚えていたみたいだよ」
「では、そこに行けば、何か手がかりが……」
「あるかも知れないな。とりあえず理工学部の教授どもには、アポを取っておくとするよ」
 昔ちょっとした雑用を片付けた事があり、多少の顔は利くのである。
「今日はさすがに無理だろうが、明日、日を改めて出向くとしよう」
「亘理さん、……ありがとうございます」
 喜びと、だがそれ以上に不安を抱えた紫の瞳。おれはそんな皇女の肩を軽く叩いた。
「まあなんだ。あれこれ悩むのは、まずフタを開けてからにしようぜ」
 彼女は小さく頷いた。
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|コメント(-) |トラックバック(-) | 2015年11月01日 (日)23時33分

人災派遣のフレイムアップ 第7話 『壱番街サーベイヤー』 16-a

 留学生向けの寮を出たおれ達は、管理人さんに礼を言って鍵を返し、香雪達に電話で報告した。ようやく日が落ちたばかりだというのに、既に連中は出来上がっており、すでにおれに鍵を預けたことなど記憶の彼方に埋もれてしまっているらしい。友人達の防犯意識を不安に思いつつも、おれはファリスとともに相盟大学を後にした。キャンバスを離れ、事務所へ向けて歩く。ものの十五分も歩けばたどり着く――はずだったのだが。
「ねぇ、マジ?マジだろこれ、マジヤバイよな?」
 大通りを折れ、事務所に向かう細い道路に入り込んだ時だった。
「へぇマジかよ、銀髪なんてホントにいるんだな」
「ヤベー!マジだわコレ」
 おれ達の行く手を、八人ほどの男が塞いでいた。通路の両端に座り込みこちらにじろじろと無遠慮な視線を向けていたのだが、おれ達が通り過ぎようとするとにわかに立ち上がり、なれなれしい様子で近づいてきたのだった。タバコ臭い息を吐き散らし、先頭の一人が話しかけてくる。
「あ、あの、貴方たち……は?」
「うおーマジ?日本語わかんの?やっべオレお友達になっちゃう?なっちゃう?」
 下品な笑い声。いずれも二十代かそこら。染めた髪。異性の目を意識しているくせに、細部までは行き届いていないだらしのない服装。相盟大学の学生かとも思えたが、その顔に浮かんだにやにやとした笑み、そしてこちらに向けられる明確な悪意が、連中を典型的なチンピラの類いであるとはっきり示していた。その一人、タバコ臭い息の男が無遠慮に近寄ってくる。
「なあ姉ちゃん、日本はじめて?おれ達が色々案内してやるよ」
 台詞にまでコピペめいて独創性がない。連中の視線がおれとファリスどちらに向いているかを確認――悲しいかな、おれも恨みを買う相手にも理由にも不足しないのだ――し、視界の端で後背を捉えると、そこにもすでにチンピラ達が立ちふさがっていた。明らかな待ち伏せ。こちらがここを通ることを確信していなければ出来ない行動だ。合計十三人。おれはため息をひとつ、肩にかけていたザックを下ろす。
「まあ貴方たちにもヤベーくらい魅力的な女性に一声かける権利くらいはマジ認めて差し上げても構いませんが。マジ世界情勢と政治についてヤベー視点と二時間くらいは語れる知識はお持ちでしょうか?マジ僭越ながら現時点ではヤベーほど準備不足ではないかとマジ推察いたしますが」
「ア?何わけわかんねぇ事言ってんだよガキ。すっこんでろや」
 そういや二十代ってことは、こいつら一応年上になるんだよな。年長者には敬意を払いましょう――年月が知恵と人格に正しく蓄積されているならば。おれはすみやかに態度と二人称と切り替えることにした。
「すまんな。会話のレベルをお前達に合わせてやるべきだった。わかりやすく言うとこうだ。――今すぐ舌を噛んで死ね。そして生まれ変わって神様に顔面と脳ミソを作り直してもらってから出直してこい」
「喧嘩売ってんのかテメ――ぶっ!?」
 歯をむき出しにして威嚇するチンピラの顔面にザックを叩き付け、
「当たり前だ。それともいちいち確認しなければ理解できんほど残念なのか?」
 渾身の自己流右ストレートをたたき込んだ。真凛あたりなら「腰がぜんぜん入ってない」と評しただろうが、素人の喧嘩ならこんなものである。ザックを緩衝材代わりにしたのは、歯や鼻骨を殴って拳を傷めないためである。
「わた……あのっ!」
 おれの名前を叫ぼうとして思いとどまるファリス。大変賢くてよろしい。
「逃げるぞ!」
 先頭のチンピラがよろよろと後ろの仲間にもたれた。それによって崩れた包囲網の隙間に身体を割り込ませ、皇女の腕を強く引き寄せる。予期していたのだろう、ファリスは逆らわずにおれに身体を預けてきた。受け止めると同時にすばやく反転し、皇女の背中を通りの奥に押し出す。
「大通りまでまっすぐ走れ!」
「はい!」
 視線を一度だけ交わしたあと、躊躇せずに走り出す。聡明な娘だ。ここで変におれを心配して立ち止まったりしては、却って双方に危険が増す事を弁えている。
「ンだテメェなに邪魔くれて……ぶげあ!!」
 後続、長髪にピアスのチンピラがつぶれた蛙のような悲鳴を上げ、突如雷に撃たれた様にひっくり返る。いや、比喩ではなく雷に撃たれたのだ。違法改造携帯電話『アル話ルド君』裏機能の一つ、電針銃(テーザ―)モードである。過剰にコンデンサの電圧を高め、ガス圧でワイヤー付きの仕込み針を発射し電流を流し込む射撃型スタンガン。もちろんよい子が街中で持ち歩いて良い品物では決してない。
「てっめ……」
「死にたくなけりゃ近寄るんじゃねえぞ!!」
 おれは大声を張り上げ、チンピラ共に電針銃に変形させた携帯をつきつけた。自慢じゃないが喧嘩の腕はからっきしである。しかし喧嘩というものはレベルが低ければ低いほど、戦闘の技術よりも威嚇が重要になる。要は猿山の縄張り争いだ。そしてこれも自慢じゃないが、ハッタリには自信がある。何しろこの電針銃、弾数は一発のみだったりするのだ。大音声と威嚇に、相手が歩を止めたその一瞬に合わせ、おれも踵を返し通路の奥へと駆けだしていた。
「逃がすな!捕まえろ!!」
 背後から刺さる怒声を無視して、おれは走った。
 だが奥に向けてしばらく走ると、先に行ったはずのファリスが棒立ちで佇んでいた。
「何やって……」
 文句を言いかけて気づいた。大通りに通じる細い通の突き当たりに、ねじ込まれるように趣味の悪いワンボックス車が停車していたのだ。もちろん進入禁止である。あのチンピラどもの移動手段、兼即席の壁ということか。舌打ちを一つ。なかなか知恵が回るじゃないか。
「こっちだ!」
 ファリスの手を引いて左に折れる。背後からは「曲がったぞ!」だの「左だ!」だの声。おれ達は右に左に道を折れ、雑居ビルの裏へとまわった。ビルの通用口の前では、休憩中なのだろうか、くたびれたサラリーマンが数人、タバコをふかしているのが目に入った。ここを抜ければ大通りに抜けられる。日ごろの運動不足で上がりつつある息を抑えつけ、ファリスの手を引き走る――だが。
「亘理さん!」
「っと!」
 ファリスの悲鳴。反射的にザックを振るったのはおれの反射神経から考えれば上出来だった。舌打ちが聞こえた。見れば、さっきまでタバコをふかしていたはずのサラリーマンが、唐突にファリスに向けて腕を伸ばしてきていたのだった。ザックを叩き付けられた腕を引っ込め、おれをにらみつける。
「クソが……、大人しくしやがれよ」
 その焦燥感に駆られた濁った眼を見て、おれはだいたいの事情を理解した。
「『アーバンジョブネットワーク』」
「な……」
 男達の動きが止まった。図星か。
「どうせギャンブルで借金こさえて、ろくでもないバイトに手ぇ出したってとこだろ。アンタらの身元、メアドと住所くらいならすぐわかるぜ?」
「ま、待て……」
 男達はあきらかに狼狽したようだった。
「動画つきでネットにさらしてやってもいいんだぜ。クビになった上に前科がついちゃあ借金返せても割に合わんと思う――がねっ!!」
 口からなめらかに脅迫を垂れ流しつつヤクザ・キック。ダメージは最初から期待していない。腰が退けた相手を押しのけて突破口を開き、おれ達はさらに通路の奥へと身を躍らせた。遠ざかる男達の罵声を背にひた走る。

 
『ふん、ネズミも逃げ回るとなれば小知恵を効かすものらしい』
 とある雑居ビルの屋上から、それらの騒動を見下ろす無国籍な風貌の大男が一人。手すりに凭れ、軍用の双眼鏡を覗き込みながら独りごちる。手すりには持ち物なのだろうか、杖……と言うには太く長過ぎる、異形の鉄棒が立てかけてあった。軍から支給されたレーションを噛みちぎり、舌打ちを一つ。
『それにしても日本人はなぜこうも惰弱なのか?どいつもこいつも栄養の行き届いた体格をしていながら、ルーナライナの物盗りのガキより足が遅い』
 日本の晩秋、すでに冬の気配を漂わせており日は短い。すでに夕陽は高層ビルの隙間に半ば以上を沈めつつあった。それに抗うように家々の窓やネオンの看板が灯りだし、狭い通路の様子はそのコントラストの中に急速に埋もれてゆく。だが大男……ルーナライナ軍大佐ビトールの瞳は、宵闇の中を逃げ回る第三皇女の姿を見失うことはなかった。
『何をしている?』
 背後から英語での問い。驚きはなかった。
『『朝天吼』か』
「ほう、足りない脳でも俺の名前くらいは覚えていたか」
 振り返れば、仏頂面の少年……劉颯真がそこにいた。接近そのものにはとうに気づいていた。いかに気配を隠して近づこうとも、彼の体毛は空気の震えを捉える。もっともこの傲岸な少年にとって、隠れて近づくなどという考え自体が選択肢として存在しないようだが。
『ここは俺の作戦領域だ。貴様等が今さらその青いクチバシを突っ込む隙間はないぞ』
「なぜ勝手に動いた?しばらくは皇女を泳がせることで合意したはずだ」
 颯真の声が低く沈む。その声は激昂する少年のものではなく、己の領を犯した者へ罰を下す王のそれであったが、ビトールは鼻を一つ鳴らしたのみだった。
「閣下のご命令があったのだ。物事は迅速に為せ、とな」
 颯真の眉が急角度に跳ね上がる。
「ワンシム様はお忙しい方だ。貴様等の効率の悪いやり方につきあう必要などない。女など攫ってきて尋問で必要な事を吐かせればそれでよい」
『尋問?拷問の間違いではないでしょうか』
 少年の傍らに影のように従う女、『双睛』が言う。その魅惑的な肢体を眺めやり、小さく舌なめずりをする
『馬鹿を言うな。ルーナライナの軍人が民間人を傷つけるような恥ずべき真似をするものか』
『逮捕した市民を砂漠で一昼夜連れ回すのがお好きと聞いたのですけれど』
 ビトールの目尻が歪む。――おぞましい悦楽の記憶に。
『俺は慈悲深い男でな。怠けがちな市民の運動不足解消につきあってやっているのだ。健康のために裸足で砂漠の上を一日歩く。すると皆、なぜか俺に感謝して色々と喋りたくなる。人徳というものだな』
『熱砂の上を歩かせられればそうでしょうね。特に足の爪を剥がされた状態であれば』
『ふん、随分と些事を調べ上げているようだな?』
『くだらん問答はいい。今すぐ駆りだした雑魚共をまとめてここを去れ。そうすれば合意を反故にしたことは不問にしてやる』
『ハ!寝言を抜かすなよ小僧。取り違えるな、俺達がお前を雇っているのだ。俺達が予定を変更すれば、お前達がそれに合わせる。当然だろう?」
『ほう。――要求を呑む気はないということだな?』
 颯真が右足を一歩踏み出す。コンクリの屋上が、みしりと軋んだ。
『当たり前だろう。それから小僧。最初から目に余っていたが、貴様、雇用主に対する態度にだいぶ問題があるなア?』
 ビトールが向き直る。両腕を大きく開き、その唇から歯茎がむき出しになった。
『――お楽しみをお邪魔してすみませんが』
 激発寸前の空気は、狙い澄ましたタイミングで差し込まれた美玲の声で霧散した。屋上から路地裏を見下ろす彼女の瞳は、都会のネオン光を反射し、幽玄な淡い光を放っている。
『状況に動きがあったようですよ』
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人災派遣のフレイムアップ 第7話 『壱番街サーベイヤー』 16-b

「亘理さん、彼らはいったい、誰ですか……?」
 皇女の息が僅かに上がっている。おれはそれに年長者の余裕を持って、
「ああ、アーバン、ジョブ、ネットワーク、つってね……!」
 答えたつもりだったのだが、どうも呼吸器系は過剰労働に文句を言いたい模様。こないだの山中走破といい、やっぱり基礎訓練って大事なんだなァ。
「……お手軽な、兵隊調達、手段さ!」
 アーバンジョブネットワーク。近頃口コミで広がっている、暴力団にも所属できない程度の中途半端なチンピラ、タチの悪い不良学生、借金を抱えた社会人……裏の世界に「片足とは言わないが半歩踏み出しているような」しょうもない連中を対象にしたSNSだ。今日では男女の出会いもお手軽なバイト探しもSNS上で行われるが、こと裏の世界もそれは例外ではない。ヤバくても割のいいバイトを求める連中がアドレスを登録しておき、そこにヤバい仕事をしたいが自分の手は汚したくない連中が携帯のメール一本で依頼を……例えば「銀髪の女を攫ってこい」とでも持ちかければ、即座に私兵集団を作り上げる事が出来るといういわけだ。ちなみに報酬は駅前のコインロッカーの位置と暗証番号という形で支払われ、アドレスを辿っても依頼人に辿り着くことは不可能という寸法。ってな事を解説してたら袋小路である。
「追い込んだぞ!行き止まりだ!」
「手こずらせやがって、ぶっ殺してやるからなガキが!」
 はん、どうせ新宿あたりから出張ってきた連中だろうが、こちとらホームだ。安い昼飯を食わせてくれる店を探して日々街を彷徨ってる学生ナメんなよ?行き止まり近くの中華料理屋のドアを無造作にオープン。
「ちいっす大将、ちょっと通りまっす!」
「あの、すみません、お邪魔します……」
 目を丸くする店長に目で詫びながら店内を突っ切る。この店は確か旧いビルのフロアを間仕切りして四つの店舗にしたものだから、確か奥で一杯飲み屋とつながっていて、そこを抜ければ――
「抜けた!」
 おれの叫びに、早上がりのサラリーマン達がぎょっとした視線を向ける。そう、おれ達は今、一杯飲み屋ののれんをくぐって、事務所の裏口へと続く通りへと抜け出ていたのだった。あとはここを直線ダッシュすれば、
「逃がすかよオラァ!女をつれてきゃ十万円、テメェは全殺しだ!」
 どやどやと店を突っ切り追いかけてくるチンピラ共。あああご主人すみません。今度メンツ集めてここで飲み会させてもらいますんで。
「つうかお前ら、十万で誘拐罪を背負うつもりかよ」
 言っておくが社会的信用はいざ失ってみると取り戻すのに十万や百万ではきかないんだぞ、これだから本当の意味で頭の悪い連中は――などと思考を逸らしたのがいけなかったのかも知れない。次の瞬間、おれは足をもつらせ盛大にすっころんでいた。
「大丈夫ですかっ!?」
「立ち止まるなっ!」
 ああもう泣きそう。怪我ならともかく、運動不足で足がつったのである。いざ一般人が映画のようなシチュエーションに巻き込まれても、ヒーローのようには行動出来ないという見本になってしまった。
「早く行けっ!」
「でも――」
 ここでファリスが躊躇したのは、判断を誤ったのではなく、迷ったからだ。己が標的という事は彼女も判っている。だが散々挑発されて頭に血が上った連中が、おれを無傷でスルーするはずはなかった。
「気にすんな、給料のうちさ」
 まあ腕と前歯くらいは仕方ない。
 そう、腹は括ったつもりだったのだが。
「……だから、行けってのに」
 皇女は、踵を返していた。紫水晶の瞳がおれを見つめる。桜色の唇が微かに動き、声なき声でルーナライナの言葉を紡いだ。
 ”アルク”と。
 そして腕を取って立ち上がらせる。
「……ごめんなさい」
 時間としてはわずか。だが、チンピラ達がおれ達に追いつくには十分な時間だった。背後から風。とっさに皇女を庇う。振り返りざまに顔面に一発いいのを貰った。
「……っ痛ぅ」
 視界がぶれる。口の肉が歯に当たって裂けた。こりゃしばらく口内炎は確定だ。両腕を上げてなんとか二発目をブロック。だがガードが上がったところにボディ。今度は入った。腕の隙間から怒り狂ったチンピラの顔が覗く。よく見れば最初におれが顔面パンチを入れた奴だ。嘔吐感をこらえる。口先三寸も通用しそうにない。あーもう。ここで玉砕するっきゃねえかな!
 
「――おまたせっ!!」
 その声は頭上から聞こえた。
 後ろから助走をつけて跳躍。おれの頭を台にして跳び箱の容量でもう一段己の身を引き上げ空中で一回転――そしてその勢いを微塵も殺さず、我がアシスタント七瀬真凛は鉞(まさかり)のように踵を振り下ろした。
「はぎゃっ!?」
 異様に小気味の良い破裂音。助走と落下と回転の勢いを全部乗せた踵がチンピラの鎖骨を容赦なくへし折ったのだ。しかもそのまま体勢を崩すことなく、苦悶に反り返った胸を蹴って真横に跳躍。後続のチンピラ……おれが電撃をかました長髪ピアスに襲いかかる。空中から無造作に左手で長髪、右手でピアスをひっつかみ、そのまま背骨を軸として全身の筋肉をうねらせ、ぐるんっと一回転した。
「うっわ」
 おれは思わず声を漏らしてしまった。長髪とピアスをハンドル代わりにされて首を捻られ、ちょっと言及できないほど凄惨な状態になったチンピラ二号が顔を覆って悶絶する。残心しつつバックステップ、おれ達を背後にかばうその様はまさしくヒーローのそれであった。
「なんだテメェ!?」
「ガキか?今何しやがった?」
 後続のチンピラ達が呆気に取られ、足を止める。その一瞬、魔法の杖のように伸びた真凛のつま先がさらに一人の鳩尾を蹴込んでいた。これで三人。
「集団戦?いいよ」
 ぞっとするほど冷たい声。この娘の本質、刃物じみた美貌が垣間見える。
「そういうのは得意だから」
「真凛さん!!」
「遅くなりましたファリスさん!もう大丈夫ですよ!」
「もう腹痛はよくなったのか?」
「おかげさまで!休んだあと御礼言って一度事務所に戻ったんだよ。そしたらあんた達が来たから――」
「ああ。それでパンツも履き替えてたのか」
「…………な」
 うん、まあなんだ。いくら色気よりも食い気とは言え、スカート履いて飛んだり跳ねたりは、ちょっとな――って、
「痛ッてえじゃねぇか!?普通顔面蹴るか?」
 さっきのパンチよりよっぽど痛ぇぞ!?
「うっさいバカ!普通助けてもらってその台詞はないでしょ!?バカでしょアンタ!?あのまま死んでればよかったのに!バカ!」
「おいお前今バカって三回言いやがっただろ?」
「亘理さん、さすがに今のはどうかと」
「え………まずかったかな?」
「ルーナライナでしたらその場で射殺されても無罪判決のレベルです」
「……ま、まあそれよりアレだ。真凛、そいつらをやっつけてしまえ!」
 自分がダメな悪の幹部になった気がする。四天王最弱とかそういう奴。
「……あとできっちり話しよっか」
 猛獣めいた視線の女子高生。小娘一人、だが異様に喧嘩慣れしたその雰囲気と、何より三人を瞬殺してのけた技量。チンピラ達は明らかにひるんだ様子だった。

『あらあら、これは良くない状況ですわね』
 胸の下で腕を組んだ美玲が言う。暗闇を見通す彼女の視界の中では、七瀬真凛に突っかかっていった与太者達が、ほとんど鎧袖一触の状態で次々と戦闘不能に追い込まれている。
『当然だ。小銭をばらまいて雑魚を集めたところで所詮は雑魚。戦闘要員のエージェントが出てくればそれで終わり。自明の事だ』
 そう言って颯真が横目でビトールを睨んだのには当然、無断行動への非難もあるが――
『まさかこれで終わりか、とでも思っているのだろう?』
 陽が殆ど沈み、あたりを覆い尽くす夜の帳の向こうから、ビトールの声が響いた。
『違うのか?』
『当然、終わりではない。与太者どもをかき集めてけしかける程度ならば子供でも思いつく方法だ。本番はこれからよ』
 闇の中、その瞳のみが異様なぎらつきを放つ。金色の輝きの中で、瞳孔が縦に裂け、そして拡がった。筋肉質の大男の輪郭が黄昏ににじみ、ぼやける。陽炎のようにゆらいだそれは、やがて二足歩行のままに、全身の毛を炎のように逆立てた異形のけだもののそれとなった。
 闇の中、”それ”は己が歯を食いしばり、そのまま大きく呼気を吐きだした。口腔内で一度せき止められた呼気が圧をかけられ歯と歯の隙間から幾条も吹き出す――朦々たる黒煙となって。
『――”ルーナライナとトウキョウとでは条件が異なる?”』
 再び男の姿がかき消える。夜の闇よりなお暗い、光を呑む靄によって。
『――”兵隊もいないのに?”――いかにも人間が口にしそうな言い訳よな』
 しばらく黒い靄の中に眼を凝らしていた美玲が、やがて得心がいったように組んでいた腕を開いた。
『これはこれは――そういう筋の方でしたか。こう言っては何ですが、我々の反りが最初から合わなかったのは仕方のないことだったのかも知れませんね』
 闇の向こうで空気が震える。ぐつぐつと笑い声。
『そうさな。本来は俺は喰う側、お前達は喰われる側――だ。女、貴様のししむらを食い千切れなかった事は心残りだが、それはまたいつかの楽しみとしよう』
 轟、と突風が一つ。
 黒い靄が風に散る。美玲が風になぶられた髪をかき上げた時には、すでにルーナライナ軍大佐ビトールの姿は雑居ビルの屋上からかき消えていた。
「行ったか」
「追いますカ?」 
「それこそまさか、だ」
「一応確認ですケド、我々ビトール殿を止めに来たコトデスヨ?」
 己の忠臣の言葉に、若き暴君は鼻を一つだけならした。
「気が変わった。ビトールの奴、頭はともかく腕はそこそこ立つようだからな」
 先ほどビトールが凭れていた手すりに身を乗り出し、劉颯馬は言った。
「七瀬め。『竜殺し』、どこまでやるのか見せて貰おう」
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人災派遣のフレイムアップ 第7話 『壱番街サーベイヤー』 17-a

 路地裏を風が吹き抜けた。

 突如、怖気(おぞけ)が走った。
 全身の肌が粟立ち、毛が逆立つ。
 
 すでにその時、路地裏の乱闘は決着がつきかけていた。十数人いたチンピラのほとんどは真凛に打ち倒され、おれは今度こそ皇女を連れて事務所へ戻る準備をしていたのだが。
「……っ!お出ましかよ!」
 晩秋の夜よりなお寒い、そしてなにがしかの”悪い”モノが含まれた、底冷えするような風。不浄な”瘴気”とも少し違う。幸か不幸か、おれは今までの経験でその正体を知っていた。”陰風(いんぷう)”。ヒトからはみ出した存在(モノ)、あるいはヒトならざる怪異(モノ)がその力と共に解き放つ邪悪な気配。――すなわちその意味は、
「上だっ!」
「受け身っ!!」
 おれと真凛の叫びが同時にあがる。夜の闇よりなお暗い、ネオンの光も通さぬ黒いかたまりが、明確な殺意を以ておれの頭上に落ちかかってきていた。
 とっさに皇女を抱えるおれの背中を、真凛が思いっきり蹴り飛ばし、反動で自分も飛んだ。絶妙の判断。おれ達が左右に別れた一瞬あとの空間を、大質量の黒い塊が押しつぶしていた。
 轟音、破砕。打ち割られたアスファルトの破片が飛び散り、おれの背中にいくつも跳ねた。降り注ぐ砂埃の中、真凛の警告通り受け身を取って起き上がったおれと皇女が見たものは。
「シイイィィィィィ……!!」
 黒い靄の中に佇む、獣、だった。
 いや、基本的なシルエットは人間――二メートル近い長身、屈強な筋肉質の体躯、無骨なミリタリー装備に身を固めたその姿は、日本ではまず目にすることは出来ないとしても――、確かに人型のそれである。直観。精神をシフト。小声で呟く。
『亘理陽司とファリス・シィ・カラーティに――』
 だが、その全身から立ち上る禍々しい黒い靄が、明らかに男がまっとうなヒトのそれではない事を示している。そして両腕と顔は黒い斑点混じりの銀色の体毛にびっしりと覆われ、大きく張り出した顎から覗く牙、金色に輝く瞳孔は、まさしく獣、それも獰猛な猫科の生き物のそれであった。長く突き出した首、異常に発達した背中と、曲げられた脚にたわめられた筋肉、そして浮かせた踵が、”猫背”を形成している。もちろん不健康な姿勢のそれではない。瞬時に得物に飛びかかることを可能とする、危険な発條(バネ)。
『致命打は――』
 そしてその両腕で逆手に握られ地面に突き立てられているのは、長大な鉄の棒であった。中央の持ち手のみが人間が握れる程度の細さだが、それ以外の箇所は梁のように太い。奴は上空からの落下速度、己の膂力、そしてこの鉄塊の重さを一点に集約して俺を叩き潰そうとしたのだ。直撃していれば、俺は頭から踵まで圧縮された肉塊に成りはてていただろう。
『小僧共、カンはいいようだな』
 黒い靄を周囲に放射しながら、獣が異形の口腔を器用に動かし西域の語を発音する。瞳孔が俺を見据える――と同時に、筋肉で形成された異形の猫背が弾けた。
『――当たらない!』
 紡ぎ上げられた言葉が『鍵』を形成する。
「ヌゥッ!?」
 先読みの博打は見事に当たった。おれを狙った鉄塊の一撃は、見えざる因果の鎖に絡め取られ……結果、『先の一撃の余波で断線したビルのケーブルが、獣の眼前に落ちかかってくる』という形で妨害された。咄嗟に硬直する獣。だが、直前で急停止し勢いが殺されたものの、鉄塊はおれの左肩に重く食い込んでいた。
「くっは……!!」
 おれの視界が急速に横に流れ、大音声と共に急停止。三メートルほど横に吹っ飛ばされてビルの壁面に叩き付けられたのだ、と二拍ほどして認識する。
 仕方がない。ファリスへの流れ弾を防ぐためには『鍵』の対象を二人にせねばならす、その場合、必要なコストは加算ではなく乗算になる。負荷を削減するために、『当たってしまう』こと自体は受け入れざるを得なかったのだ。ダメージ検証――右の肩甲骨にヒビ。腕の筋肉に一部断裂、アバラに衝撃、防刃防弾下着(インナー)越しとはいえ全身に打撲。内臓まわりは後でチェック。――暫定結果、防具を付けた状態で二階の窓から突き落とされた程度。充分活動可能だ。アドレナリンを分泌させて痛覚を遮断し、身を起こす。
 挙動を崩されたのもつかの間、即座に皇女につかみかからんとする獣。だがそこに、極端に身を沈め、影から滑り込むように真凛が追いすがっていた。
「ジィィッ!!」
 獣が反応し、咄嗟に跳躍する。正しい判断だろう。アキレス腱をつかんで引きちぎろうとした指先が空を切る。そのまま真凛は前転して身を起こし、おれの代わりに皇女の護りとなる。跳躍した獣はそのまま、雑居ビルの壁を蹴り、合間を駆け上がってゆく。そして――
「また来るぞ!」
「わかってる!」
 十分な位置エネルギーを稼いだ時点で獣は身体を反転させ、一転して下方、つまりおれ達に向かって壁を蹴った。今度の狙いは――真凛!
「っ……!」
 真凛と皇女が咄嗟に飛び退る。再び弾丸と化した獣が、アスファルトに鉄塊を炸裂させたのはその直後だった。獣が唸り声を上げる。追撃はなかった。
「ちぇ、さっきより速いや。合わせそこねちゃったよ」
 真凛が五指を屈伸させてぼやく。攻撃を避けざまに眼球を狙い貫き手を放っていたが、またも獣の反射神経にかわされたのだ。睨み合う両者。
 初手の見せ合いが終わり、互いの力量が知れたところでわずかに膠着状態が訪れる。周囲を満たし始めた黒い靄に不吉な予感を抱きつつも、そこでおれ達はようやく相手を観察・分析することができた。こいつが敵であり、さっき喋ったルーナライナ語から、皇女を取り戻すための刺客だという事までは明白だ。問題はその能力。
「……棍、かな?」
 真凛が敵の持つ異形の鉄棒を見て呟く。
「――いいや、ありゃあ杵(きね)、だな」
「杵!?って、あのお餅つく奴?」
 真凛が驚くのも無理はない。だいたいの人間にとって、杵というものは道具であって、武器ではない。こんなものを使う連中と言えば。
「ああ。だがハンマーみたいな”横杵”じゃなくて、竪(たて)杵……逆手に構えて重さで突き潰す方が得意な奴だ」
 さっきアスファルトを叩き潰したのもそれだろう。真凛の言葉に応えていくうちに、おれの頭の中で検索結果が急速に絞り込まれていった。
『小娘が格闘使い、男は添え物――なるほど、事前情報の通りだな』
『添え物で悪かったな』
 まあ否定はしないが。ルーナライナ語でお返事してやると、会話が出来ることに驚いたのか、黒い靄を顎から垂れ流しながら獣は言葉を続けた。
『貴様等も運がない。よりによってこの俺を相手にするとはな』
『はっ、獣のくせに随分器用にさえずるじゃないか』
 前に戦った竜人は変身するとまともに喋れなかったもんだが。と、獣が喉をぐつぐつと震わせた。嗤っているらしい。
『獣、か。なるほど貴様らにはそう見えるかも知れぬな。愚かな奴め、俺が何者かもわからぬまま、臓腑を裂かれて死ぬがいい』
『ははん。さてはお前、頭悪いだろ?脅し文句に独創性がない』
 先ほどチンピラ相手に独創性のない文句を吐いた事実を棚に上げつつ、おれは内心舌打ちした。コイツは殺意を明示した。つまりはまっとうな『派遣社員』ではなく、業界の仁義を守るつもりもなければ必要もないということだ。
『けどまあ、アンタの正体、心当たりがないわけでもないぜ?』
『ほう。小僧、俺様を知っているとでも?』
『そうさな、おれが知ってるのは――かつて中央アジアのある部族が、雪渓に埋もれた寺院に封じられし邪法を解き放ち、獣の力を我が物とした――なんて伝説だけど』
『……ふん……』
 獣の気配が変わる。どうやらおれを”添え物”扱いするのはやめたらしい。
『当たりか。ま、簡単なクイズだったな。銀色の毛皮に黒の斑点、鉄の杵をかまえて陰風を纏う”妖怪変化”、といえばヒントがありすぎなくらいだぜ』
 獣の口の端が急角度に歪む。
『ならば言ってみるがいい、……我が真名をな』
『その昔、ありがたいお経を取りに天竺に旅立った坊さんを喰らおうとした魔物の末裔。花皮豹子精(ユキヒョウのあやかし)――またの名を『南山大王』!』
 ナンザンダイオウ、の日本語を知っていたのだろう、獣は嗤った。禍々しい歯列がむき出しになる。
『気に入ったぞ小僧!男の肉は好かぬが、貴様の脳随は啜りがいがありそうだ!』
 再び弾ける筋肉のバネ。夜闇を裂いて鉄杵を唸らせ、『南山大王』は跳躍した。
「ふん、生憎おれの役割はどっちかっていうと念仏唱える方でね――荒事は任すぜ孫行者!」
「なんだかよくわかんないけど任された!」
 そこはがってんお師匠様とか言って欲しかったがまあいい。割って入った真凛が鉄杵を潜り込みつつ掴みかかり、接近戦を挑む。獣は己の爪牙を振り回しつつ、鉄杵の有利な間合いを取ろうとする。剣呑な技巧と獰猛な黒靄が混じり合い、一挙手一投足の間合いでの乱戦となった。

「大丈夫か?」
 もつれる両者から距離を取り、皇女の元へ。おれが獣相手に正体当てクイズをやっていたのは、別に自分の知識自慢のためではない。真凛が皇女を安全圏に退避させるまでの時間稼ぎである。
「亘理さん、肩が……!」
「ああうん、まあ軽い打ち身ってとこ」
「嘘です、あの音なら骨にヒビが入っているはずです!」
「だいじょぶだいじょぶ、割とまれによくあることだから」
 皇女の気遣わしげな視線。どうも扱いに困るなぁ。ケラケラ笑って手を振り、話題を転換する。
「で、今の襲いかかってきた獣に心当たりは?」
「たぶん……ビトール大佐です。叔父の右腕を務めていて、豹の魔物に変じる力を持つなどという噂がありましたが、まさか」
 本当に豹に化けるとは思っていなかったのだろう。それが普通の世界の常識というものだ。
「んじゃ、厄介者の相手は真凛に任せて、おれ達はとっととずらかろうか」
「そ、それは真凛さんがあまりにも危険では!」
「へーきへーき。君も見たろ?アイツのえっげつない暴力をさー」
 蹴られた顔面をさすってみせる。
「しかしビトール大佐のあの姿は、もはや人間ですら……!」
「大丈夫。アイツはああいった手合いとはもう何度とやってるしね。それに」
 ま、そろそろアシスタント業務も長いしな。
「任せられるから任せる。――そういうことさ」
「信頼、してるんですね」
「と、とにかく!ここから離れるぜ、……ってなんだこりゃあ?」
「黒い……壁!?」
 皇女を連れてビルの谷間から抜け出そうとしたおれ達は、黒いガス状のものがわだかまり、出口を塞いでいることに気がついた。
「あの黒い靄か……!」
 己の迂闊さにまた舌打ちする。確かに陽は落ち、もう夜と言ってもいい時間だ。だが外から届くはずのネオンや街灯の明かりが一切遮断されていたことに気がつくべきだった。辺りを見回す。イヤな予感は的中。いつの間にか周囲一帯が黒い靄に閉ざされていた。
「これが、ビトール大佐の力なのでしょうか?」
「だろうな、奴さんの撒き散らしていた黒い靄、ただの虚仮威しってわけじゃないらしい」
 試しに手をかざすと、不吉な寒気が腕に走り思わず引っ込めた。分類するなら『妖術』のくくりだろう。精神的な嫌悪感を催す人払いの結界。恐らくこの黒い靄の中で何が起ころうと、外の人間には感知されない。表通りを歩く人間が悪臭漂う路地裏や薄暗い物陰に視線を向けるのを避けるように、この場で起こる事を無意識に忌避し、忘れようとする力が働くのだ。人に仇なす『妖怪変化』が力を振るう際、しばしばこういった結界を用いることを、おれは経験として知っていた。
「気合い入れて突っ切りゃいいだけの話なんだけどな……!」
 額に脂汗が浮かぶ。理屈ではそう判っていても、ヘドロの海に顔を埋めるような強烈な嫌悪感が行動を阻む。ファリスを見れば、こちらも顔を青くし身を竦ませている。
「作戦変更だな、こりゃ」
 二人揃って突破できる目は薄いと判断せざるを得ない。
「こうなったらそいつを一気に片付けて脱出するぞ――って、おい!?」
 皇女を連れて引き返したおれ達の前には、意外な光景が広がっていた。
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|コメント(-) |トラックバック(-) | 2015年11月29日 (日)13時22分

人災派遣のフレイムアップ 第7話 『壱番街サーベイヤー』 17-b

 獣が吠え、巨大な体躯が唸りを上げ――アスファルトに叩き付けられた。
『ガハァッ!』
 牙の間から肺の中の呼気と黒い靄が吐き散らされる。己の重量と速度がそのまま凶器となって跳ね返り、頑丈な骨格と胸筋をも押しつぶしたのだ。
『舐め、るな小娘ェェエ!』
 コンマ数秒で身を跳ね上げ、『南山大王』は突進、膂力に任せて鉄杵を振り下ろす。遠心力をためこんだ極太の鉄の塊が七瀬真凛の小さな頭に振り下ろされ、木っ端微塵に粉砕された、かに見えた。
 真凛は左手左足を前に出した構えから、右足を半歩だけ退いて半身に身体を開いた。半瞬前に己の頭があった空間を鉄杵が通過する。強敵の攻撃を紙一重で避ける『見切り』だ。そこまではまあわかる。おれも何度も見たことがある。
 だがそこからが異常だった。真凛はそのまま前に突き出した己の両の掌で、鉄杵を掴んでいる『南山大王』の手首を軽く包み込んだ――ように見えた瞬間。
『ッッガァ!』
 苦悶とともに『南山大王』はまるで高圧電流に感電したかのように背筋をびくんとまっすぐ伸ばし、そしてその姿勢のまま斜め上空にすっ飛んで行ったのである。
「ま、真凛さん!?」
 呆気にとられるおれ達の視界で、『南山大王』の巨大が放物線を描き、そのまま雑居ビルの壁面に叩き付けられ、轟音を撒き散らす。
『ゴ……ガ……!』
 地面にずり落ちた獣が痙攣する。
「亘理さん、真凛さんは武術の他に何か魔術(マジック)も使われるのですか?」
「いや、そんなはずは……」
 先ほどのチンピラとの戦いで、真凛が護衛として十分な戦闘力を備えている事を確認済のファリスだが、驚くのも無理はない。触れただけで相手を吹き飛ばすなど、武術ではなく超常現象の領域のはずだ。
「うん。うん。だいたいわかってきた」
 不可思議な技を使った当の本人は、ごく平然と、なにやら確かめるように己の五指を開閉させている。と、瓦礫が吹き飛び、またも『南山大王』が身を起こし突進してきた。
『殺す!殺す!貴様は臓腑を引き裂いて殺す!!』
 憎悪のこもった絶叫も、ルーナライナ語を解さない真凛には届かない。
「要は銃弾を見切る時とおんなじなんだよね。力の流れを――」
 鉄杵が風を巻く。横薙ぎの一閃。縦を躱されたのであれば次は横。シンプルだが確実な選択、のはずだった。だが真凛は、敵が撃ちこんだ時にはすでに暴風圏の中心に吸い込まれるように前進。体幹を軸に収縮する螺旋のように身を翻すと同時にまたも両の掌で『南山大王』の手首と肘にあてがうように触れ、糸の切れた人形のようにすとんと膝を抜いていた。
『……!』
 獣はもはや悲鳴も上げなかった。再び宙に己の身を跳ね上げ、今度は吹き飛ぶ事すら出来ず、自身の起こした暴風に巻き取られるように巨体が鋭く空間を翻り――べちゃりと雑巾のように地面に吸い込まれ、潰れた。
「――よく見て、螺旋にして相手に集積してあげればいいんだ」
 片膝立ちのまま真凛が呟く。その両手はいつの間にか、剣を撃つように振り下ろされていた。
「……マジ?」
 合気道で言うところの四方投げ、いや小手返しだろうか。あまりに速く到底目で追えるものではないが、ネットの動画で観た武道の技ではそれが一番近いように思えた。多分ではあるが、いわゆる合気の類い。『南山大王』の獣の膂力、体重、そして鉄杵の重量や遠心力。それらを巧みに取り込み相手に送り返したのだろう。『南山大王』は自分自身が放った力で宙を飛び、壁や地面に叩き付けられる羽目になったのである。
『……ガ……ハ……ッ』
 倒れ伏したままの獣。残心したまま真凛は距離を置き、一息ついた。
「よし、上手く出来た。颯真とやり合う時は余裕なかったけど、この人は力も動きも大きかったからかえってわかりやすかったよ」
「真凛さん、それも武術の技、なのでしょうか」
 皇女が恐る恐る確認した。そうであって欲しい。万が一このお子様が超能力にまで目覚めでもしたらそれこそ手が付けられない。
「うん。やってることはウチの基本技。他の流派にも普通にある技なんだけど」
「ンな技が普通にあってたまるか」
「あはは。こないだ、シドウさんとやり合ったでしょ?その時にあの人もボクと同じく『見えてる』っぽい人だったからさあ、色々コツを聞いたんだ」
 シドウというのは以前の仕事で真凛が戦った巨漢で、柔術の使い手である。この女子高生の特技として、銃を構えた相手の殺気、銃口の位置から弾道を『線』として見るというものがあるのだが、どうやらコイツ、その特技を投げ技や関節技に応用し始めたらしい。
「体格が大きい人相手だと指とか目とかを攻撃しないと崩せないから、読まれちゃうと手詰まりになっちゃったんだけど、これでだいぶ幅が拡がったよ」
 己のレベルアップを実感するように、何度もうんうんと頷くお子様。素人見立てだが、『南山大王』は決して弱敵ではない。むしろ戦闘能力で言えば今までおれ達が渡り合ってきた中でも上位の部類に入るはずだ。それをここまで一方的に叩き伏せるということは、つまり成長していると言うことだ。
「真凛、おまえ」
「ん?」
「いや……、何でもない」
 いつも通りのあっけらかんとした表情に、おれは言葉を失った。自分でも何を言うつもりだったのか、よくわからなかった。
「ま、まあ障害も排除したことだし。さっさとみんなで事務所に戻ろうぜ」
 ズボンの埃を払ってザックを背負い直す。帰り支度を始めようとしたおれの耳に、皇女の叫びが刺さった。
「亘理さん、あれを!」
「どうしたファリス?」
「靄が、晴れていません……!」
「何だって?」
 おれの視界の先には、路地裏と表通りの境を塞ぐ黒い靄。『南山大王』を倒したはずなのに、それは晴れずに未だどろどろと蟠ったままだった。
『グ、……グ……、ハハ……ハハハハハ!』
 瓦礫の山が崩れ、『南山大王』が身を起こした。己自身の重さと速度で何度も地面に叩き付けられたダメージは相当に大きいらしく、鉄杵を杖代わりにしている。だがその眼はまだ凶暴な殺意に満ちていた。
『まだやるのか?正直、こちらとしてはこれで手打ちにしたいんだがな』
 あちらはどうか知らないが、こちらは生命のやりとりをしても何の得もないのだ。
『バカを言うな……これからよ……。キサマ、気づいていないのか?』
「陽司、後ろ!」
 真凛の声に背後を振り返り、おれは眼を向いた。
「これは、……いったい何が起こっているのですか?」
 皇女の狼狽も無理はない。そこにはおおよそあり得ざる光景が展開されていた。
 先ほど倒されたチンピラ達。その多くは逃げ散り、何人かは完全に昏倒し無力化していた。だがそのうちの三人に、周囲に漂っていたあの黒い靄が、もつれた蜘蛛の巣のように幾条もの糸となって絡みつき、そして繭のように包み込んでいたのだ。
 そして靄が完全にすっぽりとチンピラを覆いきると……それは、むくりと立ち上がった。二メートルの巨体と、鉄杵を携えた獣のシルエット。つまりは『南山大王』のカタチを採って。
 一体二体と起き上がり、そして三体目が起き上がる。
 気がつけば四匹の獣に、おれ達は囲まれていた。黒い靄に包まれた『南山大王』の影三体と、そして、
『これで形勢逆転だな、小僧共。……これこそ我が真の力、必勝の陣よ』
 オリジナルの『南山大王』に。

「亘理さん、これもビトール卿の力、なのですか?」
「っていうかこれ、ちょっとずるくない?」
 四方を囲まれ焦る皇女と、唇をとがらして不満を述べるアシスタント。おれはと言えば、額に手をやり己の迂闊さを反省していた。
「『分瓣梅花(ぶんりゅうばいか)の計』か。そりゃそうか、『南山大王』ならそう手を打つよなぁ」
「ぶんりゅ……ナニソレ?」
 『分瓣梅花の計』。かつて『南山大王』が取経の旅に出た聖僧を襲った際、武芸と神通力に長けた弟子達を遠ざけるために打ったという策。自らの姿を己の部下に映し化けさせ、囮となし行動させる妖術だ。いくつかの言い伝えによれば、化けさせられた部下達も主と同じ能力を持ち、聖僧の弟子達をそれぞれ苦しめたとある。
「まあ、なんだ。四捨五入すると部下の肉体を依り代にして分身を作り出す術ってところだな。餅つきに分身たあ、どうやら新年隠し芸の心得もあるらしい」
 強いて減らず口を叩きつつ、内心冷や汗を拭う。見た目以上に状況は不味かった。先刻の戦いで見せたように、真凛であれば例え数が増えようと『南山大王』の攻撃を捌いて投げ飛ばすことは出来るかも知れない。だが。
『小僧ハ殺シ、皇女ハ攫ウ。ソノアト小娘、キサマヲ切リ刻ンデクレル……!』
 靄で出来た分身が、濁った言葉を紡ぐ。獣の何体かの視線は、真凛ではなくおれ達に向けられていた。そう、数に物を言わせた各個撃破にかかられたら、打つ手がない。
「皆さん、私は……」
「ハイつまんない事は言いっこなし」
「そうそう。ボク達これでも、オシゴトとして引き受けたんですし」
 実は任務達成率は百パーセントだったりする。ケツを捲る選択肢はなかった。
「ボクが引きつけるよ。二人は逃げて」
「殊勝な申し出だが、そもそも逃げられるかどうかも怪しいもんだよなぁ」
 通路にはいまだ靄がわだかまったまま。皇女を連れて複数の獣の追撃を振り切り、強力な『人払い』の力を持つ障壁を突っ切るのは、さすがに要因が多すぎておれの『鍵』でもカバーしきれない。あまり言いたかないが、絶体絶命というヤツのようだった。
『……終ワリダ!!』
 本物と分身の『南山大王』達が声を揃えて言葉を紡ぎ、そして一斉に向かってくる。
「ああくっそ!」
 こうなりゃ一か八か、逃げの一手しかねぇか!

 そう思った時。
 夜を裂いて、冷気が走った。

 晩秋の夜よりも、おぞましい陰風よりも、遥かに冷たく清冽な白い冷気。
『ガハァ!?』
 獣の一体がのけぞった。他の三体も、驚き突進を止める。
『ア……ガ……?』
 その胸に突き立っていたのは、白い剣。
「まったく、皇女を案内すると街に出て行ってみれば帰ってこない」
 冷気であつらえられた、純白の騎兵刀(サーベル)。
「まさか貴様、皇女をタチの悪い夜遊びにでも誘おうというのではあるまいな?」
 事務所のメンバー、『深紅の魔人』、笠桐・R・直樹の得物であった。
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人災派遣のフレイムアップ 第7話 『壱番街サーベイヤー』 18

「直樹さん!」
「やあ真凛君。遅くなった。少々準備に手間取ってしまってね」
 おれのアシスタントに軽く手を挙げ、皇女に黙礼すると、『深紅の魔人』――原種の吸血鬼は敵を見据える。
「人の軒先で生臭い妖気と騒音を撒き散らすとは迷惑千万。今は冬だ。獣の発情期はとうに過ぎたぞ」
 直樹の纏う極低温の空気が、周囲との温度差により放射状に風を巻き起こす。季節に合ったインバネスのコートと銀髪をはためかせ、絶対の冷気を操る吸血鬼は、燃える黄金の瞳で『南山大王』を見据えた。
『何者だ、貴様。どうやって俺の結界内に入ってきた!?』
「せめて英語で喋れ、獣。皇女殿下のルーナライナ語は意味が判らずとも耳に心地よいが、貴様のわめき声は傾聴に値せん」
 幸か不幸か、両者の会話は成立しなかった。直樹が左手をかざすと、そこには再び銀色の騎兵刀が形成されている。おれは心強い増援に小走りに駆け寄り――その後頭部を思いっきりぶったたいた。
「何やってんだよお前!」
「……、……、……。おい亘理。俺は確かに任務で皇女殿下の救援に来たのであって、貴様を助けに来てやったわけではない。だがそれを差し引いても、今貴様に後頭部を殴られる謂われは微塵もないぞ」
 騎兵刀を引っ提げ、血も凍るような声音で吐き捨てる吸血鬼。ウンその眼は結構マジでおれを唐竹割りにするつもり満々ですね。
「いやそうじゃなくって。お前が串刺しにしたの、中身普通の人間なんだって!」
「なんだと!?」
 直樹が目を剥く。おれの指さす先で、胸に深々と騎兵刀を突き立てられた『南山大王』の分身が、アスファルトに倒れ込んで痙攣していた。やがて力尽きたのか、水にさらされた泥人形のように黒い靄はほどけ、消え去った。
「……セーフ」
「……だな」
 核となっていたチンピラの姿を見て、おれと直樹は同時に冷や汗を拭った。
 妖気が纏わり付いて膨れあがることで二メートルの『南山大王』の体を形成していたのだ。巨漢の左胸を貫いた騎兵刀は、実際にはチンピラ本体の鎖骨の辺りを斬り込むに留まっていた。おれ達の安堵は別に善意からではない。つまらん殺人を犯して、社会的、道義的に余計な負い目を被るのは面倒くさいし、何より後始末が厄介なのだ。
「ならばよし。……まさか貴様、皇女をタチの悪い夜遊びにでも誘おうというのではあるまいな?」
「あー、そこから仕切り直す?……ふふん。本格的な夜遊びに誘うのはこれから。今夜は前哨戦、ダンスの練習ってとこさ。……こんな感じでいいか?」
『俺の結界はどうしたッ?』
 獣が吠える。怪訝な顔の直樹に通訳するおれ。これだから海外の相手との任務は厄介なんだ。
「そんなことか。こちらには魔術破り(スペルブレイク)のスペシャリストがいるからな」
 こともなげにのたまう直樹。振り返れば黒い靄の壁が、まるでえぐり取られたように人ひとり分だけぽっかりと開いていた。アスファルトに転がる薄いアクリル板に、金色の油性マジックで無造作に書かれた、『八大副王が蛆の長(CODSELiM) 悍ましきその身で不浄を喰らい(COHABIM) 羽音を以て清めと為せ(OeuleCoaliO)』の文字。魔王マゴトの力を使役した魔術破りの呪法であった。
「チーフの魔術か」
「今回は大仕事だといったろう?生憎本人は会合で不在だが、代わりに魔力を込めたカードを何枚かせしめてきた。日持ちはしないがな」
 魔術に通暁したウチのメンバー、須恵定チーフが魔力を込めて刻んだ式である。見てくれは雑な落書きをされたアクリル板だが、そのコストは決して馬鹿にはならない。魔術と科学の違い、それは『保存が利くか』だったりするのだが――まあ今はここらへんの談義はいい。
「ついでに石動女史からこれを預かってきた」
 コートの内ポケットから取り出した金属製の筒をおれに手渡す。
「わーお……」
 円筒に刻まれた、安心からはほど遠い『試作品』の三文字。
「にしても、おれ、お前、真凛、チーフ、羽美さん。ここまでメンツを動員するあたり、所長の入れ込みようも相当だな」
「いったい幾ら皇女殿下に吹っかけたのやら、そら恐ろしくなる」
「依頼料もそうだが、これを機に海外にも営業かけようって魂胆じゃなかろうか?」
「俺はやらんぞ。仕事は関東圏内で十分だ。ネットも使えないような僻地での任務なぞ耐えられん」
「ネットも通ってねぇ僻地の出身のくせに何言ってやがる」
『何をごちゃごちゃと喋っている!!』
 与太話はそこまでだった。獣の群が一斉に身じろぎする。おれ達は一瞬視線をかわした後、左右に散った。呼応するように影どもがネオンの浮かぶ夜空に放たれ、上空から襲いかかった。もっとも厄介な真凛に『南山大王』本体が、そして直樹にと、皇女をかばうおれに分身がそれぞれ一体ずつ。互いにもつれあい、乱戦が始まった。

 分身のうち一体が直樹に飛びかかる。大ぶりで振るわれる鉄杵、かわす直樹。だがそこで獣は意外な行動に出た。鉄杵を放り捨てると、両の腕で直樹につかみかかったのだ。
「ぬっ!?」
 咄嗟に両腕を掲げる直樹。騎兵刀を取り落とし、がっぷり四つの力比べの体勢となった。他の分身を一撃で葬った刀を驚異とみたのだろう。獣の戦術は悪くなかった。双方武器の使えない組み合いに持ち込んでしまえば筋力勝負、己の勝利は揺るがない。それは正しかった。――筋力だけならば。
『――ガ?』
 原種の吸血鬼の力が解放される。
 ほんの一時。しん、と大気が静まり、音が失せた。
 それは、永遠の命と共に与えられし呪われた職能。
 世界で日々を暮らす側から、日々暮らすもののため世界を管理する側に堕ちてしまった愚者に課せられた、時空を調律するため局所的に時を停止させる力。
 『深紅の魔人』が周囲の空間の時間を停める。
 刹那の間、存在する全ての分子は完全に振動を奪われ停止する。そして時が再び動き出す際、分子は振動を再開するために周囲の空間から振動を奪い――すなわち、そこに膨大な冷気が発現する。
「おい!中に入ってるのは、社会的にはアレだが並の人間だ。ほどほどにしとけよ!」
 おれの警告にヤツは舌打ちする。
「難しい注文だ」
 直樹の両腕からほとばしった冷気が夜光を反射し白く輝き、獣の両腕が瞬く間に凍り付く。『南山大王』の術は、他者の肉体に己の妖気を縛り付けることで為されており、実体と妖気の境界が曖昧だ。だがそんな理不尽すらも『深紅の魔人』の力は捻じ伏せる。妖気が肉体を覆っているなら、その覆っている空間を凍らせてしまえばいいのだ。獣の両腕が、肩が、胴が、ゆらめく妖気ごと氷に閉じ込められていく。
『ッガ、ガァアア!ガ……!』
 断末魔の絶叫。吸血鬼が力任せに両腕を広げると、極低温で金属に貼りついた皮膚が無惨に剥がれるように、獣の上半身が引き千切られた。崩れ落ちる獣。妖気の靄を無理矢理に引きはがされ、昏倒したままの中のチンピラの顔が露わになった。
「因果応報。霜焼けと軽い凍傷くらいは許容して貰うとしよう」
 騎兵刀を拾い上げた吸血鬼は悠然と嘯いた。
「お前もさっさと片付けてしまえ、亘理」
「お前みたいな脳筋要員と頭脳労働者を一緒にするんじゃねえよ!」
 他人事風に声をかける直樹に悪態をつき、おれは獣の分身が振りかぶった爪を辛うじてかわした。一撃、二撃。なんとかかわす。
 おれに獣の一撃を見切るほどの俊敏な運動神経が突如備わった――わけではもちろんない。皇女を背後にかばっている以上、ヤツは彼女ごと傷つけるような大ぶりの攻撃は避ける。そしておれのようなひ弱な人間には、その程度の攻撃で充分、ヤツにそう考させる。ターゲットである皇女と、己自身の弱さを用いて敵の思考を誘導しつつ、おれはギリギリの範囲で攻撃をかわしていた。手にした金属筒のダイヤルを合わせる。マックスの5……いや、さすがに3にとどめるべきか。
 杵をつかわず、つかみかかってくる爪に空を切らせる。だが、身体能力を小細工で補うのもそれが限界だった。最初のダメージのせいか、足がもつれ、おれは皇女を巻き込んで転倒してしまう。諸手を挙げて、おれの首を掴まんとする獣。
 ええいしゃあねえ。どうせ二発目はないのだ。ギリギリまでひきつける。
 ――ダイヤルを4に合わせ、おれは金属筒を掲げ引き金を引いた。
 ずばむ、と爆発音が響いた。
『ガッ!!?』
 困惑の咆吼。
 獣の影は、おれの構えた金属筒から発射された玉虫色の光沢を放つ”網”に囚われていた。
 石動研究所謹製、ブレードネット。金属筒に装填された特殊な薬品が、火薬の炸裂で放射されたと同時に大気と化合し、極めて強靱な繊維を蜘蛛の巣状に形成、対象に絡みつく。異能力者を捕獲するために製作された試作武装だった。
「悪いが容赦はできないんでな」 
 おれは引き金をさらに押し込む。金属筒に内蔵されたモーターが回転を始め、
『ッガギャアァガアアア!!』
 胸の悪くなるような獣の悲鳴があたりを劈(つんざ)いた。
 この装備の悪辣なところは、ただ繊維を生成するだけでなく、金属筒内に同封された極小の工業用ダイヤモンド粉末を取り込み、鋭利なワイヤーソーとしての特性を持たせるところだった。そして化学反応の副産物として発生した大電流がネオジム磁石をアホほど突っ込んだ強力モーターに流れ込み網を巻き上げることで、
『ガギャギャアア、ギャアアアッ!!!』
 全身を言葉通りズタズタに切り刻むのであった。拘束された上に橋梁用コンクリートすら切断するワイヤーソーに全身をヤスリがけされ、黒い靄が剥がれていく。
「……ずいぶんと非人道的なやり口だな」
「お前に言われたくねえよ!」
 直樹に抗議しつつ、おれはダイヤルを徐々に落としていった。対異能力武装とはいえ所詮は一発芸。初見で仕留められなければ、二発目はまず当たらなかっただろう。生成する網の量を多くしすぎれば中の人間までヤスリがけしてしまう。かといって少なければ捉えきれない可能性がある。テストなしで適量一発を決めた技量を褒めて貰いたいものだ。纏わりついていた靄が剥ぎ取られ、チンピラの本体が露わになる。服はズタズタ、たぶん全身シャレにならないレベルで擦り傷だらけだろうが、まあ死ななかっただけありがたいと思って頂きたい。
「さて」
『まだ続けるかい?』
『き、貴様等……』
 『南山大王』が狼狽えるのも無理はない。分身三体と共に必勝の陣を敷いたはずが、増援によって瞬く間に体勢を覆されてしまったのだ。今や逆に三対一。窮地に陥ったのはヤツの方だった。皇女をかばうおれ、そしておれとヤツの間に割り込み、構えをとる真凛。
「ボク個人としてはとことんやりたいけど。退くなら追わないよ」
「おお、これは奇跡か。まさか戦闘狂に分別がつくようになるとは」
「誰が戦闘狂だよ」
『舐めるな……舐めるなよ……!!』
 退く、つもりはないのだろう。誰かに命じられたのか、己のプライドのためか。
『南山大王』は杵を水平に構えた。ふくらはぎと背中の筋肉が盛り上がり、異形の”猫背”がさらに撓められる。
「……ちょっとあれはまずくないか?」
 おれはヤツの狙いに気づいた。ヤツの攻撃は恐らく、『シンプルな体当たり』だ。杵や爪を振り回す『円』の動きを用いるから真凛に絡め取られ投げ飛ばされる。であれば、杵を横一文字に構え壁とし、そのまま己の筋力で真っ直ぐぶち当たれば良い。単純なようで、決して侮れない獣の勘だった。
「大丈夫」
 一言だけおれに返すと、真凛は構える。両腕のガードを緩め、静かに腹で呼吸を整える。無防備にも程がある体勢だったが、その表情は完全に戦に望む武芸者のそれだった。おれは役に立たない忠告を飛ばすのをやめ、直樹と共に見守った。
『殺す……殺す……コロス……コロス……!』
 『南山大王』が呪詛を繰り返す。殺意を言葉にすることで結晶化し、己の凶暴性を底までさらけ出していく。猫背が限界まで撓められ、殺意が臨界に達した瞬間。
 『南山大王』が消失した。否、人間の脳が映像を認識する1フレームの間を突破し、亜音速で大気を裂き、真凛を粉砕せんと突撃したのだった。
 
 世界が鈍化する。
 
 本来ならば、認識できるはずもない超高速の映像。だが極限の緊張下だからか、そのやりとりを認識することが出来た。
 『南山大王』が突進する。音速に迫り、裂かれた空気が気流となって周囲に撒き散らされる。真凛は棒立ちのまま反応できない。横一文字に壁のように押し出された鉄杵。大質量と超高速が生み出した巨大な運動エネルギーが、棒立ちとなった少女の胸を無惨に砕き押しつぶした――はずだった。


 雷が、地から天へと駆け上がった。
 
 そう錯覚するほどの凄まじい衝撃波が、地面すれすれから上方へと突き抜け、裂帛の轟音となって夜空を貫いたのであった。
 『……………………、ガッ……』

 『南山大王』の後頭部が、自身の尻にめり込んでいた。

 その背は再び極度にたわめられていた。
 ただし、先刻とは真逆の方向、前のめりではなく、後ろに仰け反る方向に。
 直立したまま背中を支点として背骨があり得ない曲がり方をして、頭部が尻にくっついている。
 人としておおよそあってはならない姿だった。
 その体勢のまま、一歩、二歩と『南山大王』はふらふらとよろめき。
 『ガ』
 不明瞭な言葉を一つ吐き。
 どうと倒れ伏した。

「よっし、イメージ通り」
 着地し、構えを崩さず残心の真凛。期せずして顔を見合わすおれ達。
「……見えた、か?」
「……見えた。だが、信じたくはない、な」
 緊急時に加速するおれの脳みそと、吸血鬼の眼は、今起こった事実をどうにか捉えていた。『南山大王』が亜音速で突っ込んでくるその瞬間に合わせ、真凛は跳躍したのだ。跳躍といってもほんのわずか、地面から両の足が数ミリ離れる程度のささやかなもの。だがそれで充分だった。その刹那のみ、七瀬真凛の身体は壁にも地面にも固定されない完全に自由な状態にあった。
 そこに『南山大王』が衝突し、膨大な運動エネルギーが真凛に流れ込む。本来、流れ込んだエネルギーは地面、筋肉のこわばり、骨などに乱反射することで体内に無惨な破壊をまき散らしたのち、転倒、吹き飛び、空気のふるえ……破裂音などの物理運動という形で発散される。だが、真凛は己を空にとどめ、呼吸により水のような脱力状態を作り出していた。宙を舞う羽毛を全力で殴りつけても、羽毛を砕くことは出来ない。己に加えられた力を素通しし無効化にする、打撃殺しの極意である。真凛の胸部に流し込まれた膨大なエネルギーはその身体をほとんど傷つける事無く、肉体を移動させるための運動エネルギーへと転化されていた。
 だがここで更に凄まじい事に、真凛は呼吸を腹に落とし、へそのあたりに己の『重心』を作り出していた。膨大な運動エネルギーは、へそを『支点』として円運動へと転化。上半身が後方、下方へと移動。その反動として下半身、つまり脚部が下方から前方、そして上方へと、『南山大王』渾身の突進の勢い全てを乗せて跳ね上がった。
 すなわち。
 真凛は『南山大王』の巨体による亜音速の突撃を風車のように受け止め、集約し、超音速のサマーソルトキックと為して、『南山大王』自身の顎をカウンターで蹴り上げたのであった。
 『南山大王』が常人であれば、誇張抜きに首はそのまま引き千切れてネオンの夜空の彼方へと吹き飛んでいったであろう。首をとどめたのはひとえに、獣の強靱な背骨と筋繊維の賜物だった。
「ああっ、靴が破けちゃったよ!結構お気に入りだったのに~」
 超音速の殺人技を振るった当の本人は、音の壁を越え皮が簓(ささら)のように裂けたローファーを見やり、涙目で嘆いた。
「まあ、なんだ、今度代わりの靴を買ってやるよ」
「えっ、ホント!?」
(……現場作業用の爪先に鉄板が入ってるヤツをな)
(冗談でもやめておけ、それをお前が喰らえば、首どころか脊髄ごとぶっこ抜きで残酷ペットボトルロケットを披露する羽目になるぞ)
 おれ達の小声のささやきは、浮かれる当人の耳には入らなかった。まあ、費用は成功報酬のうち、あいつ自身の取り分から引いておけばいいか。
「で、こいつはどうする?」
「このまま路地裏に転がしておくさ。そのうち飼い主が引き取りに来るだろ」
 視線の先には、塩に溶けるように体積がしぼみ、人の姿を取り戻しつつある『南山大王』。
「……もし半年早く戦ってたら、全滅させられていたかもな」
 あまりも一方的に撃破された敵に、少しは優しい言葉をかけてやりたくなる。誇張ではなかった。半年前なら真凛と『南山大王』の戦いは血みどろの攻防となり、分身を使われた時点でおれは直樹が来る前に逃げ切れず倒され、皇女は攫われていただろう。認めざるをえまい。もう足手まといでも力不足でも、ない。
「終わった……のですか?」
 おれの肩越しに恐る恐る覗き込むファリス皇女。肌から漂うかすかな香料がおれの鼻腔をくすぐった。ひとたび戦闘が始まった後、彼女はおれ達の行動に従いほとんど口を挟まなかった。素人は騒がず、専門家に任せ従うべきと弁えている。賢い人だ。
「ひとまずはな。これで決着となってくれればいいんだが」
 おれは大げさに周囲の雑居ビルをぐるりと見回し、”気づいているぞアピール”をしてみせた。気配なぞ読み取ることは出来ないが、どうせなにがしかの監視が敷かれているに違いないのだ。
「ショックか?」
 おれは皇女に声をかけた。
「いえ、判っていました。……判っていたつもりです。私を狙っていたのはやはり叔父様なのですね」
 ビトール大佐とか言ったか。腹心の軍人が襲ってきたのだ。首謀者はいうまでもなかろう。叔父、事前資料に寄ればたしかワンシム・カラーティ。颯真達が襲ってきた時点で目星はついていたが、改めて肉親から狙われていると明らかにされれば平静では居られないのは当然だった。
「気を落としなさんな。犯人がわかったのなら読みやすい。さっそく明日から叔父さんとやらの動向に探りを入れるとしよう」
「いえ、それはいいのです。……ただ」
「ただ?」
「国がこんなことになっているのに、私達はまだ身内でこんな馬鹿なことを繰り返している。それが、……情けないのです」
 俯く皇女。そこに居たのは、昼に見た絵本の世界の住人のようなお姫様ではなく、歳不相応な重責に押しつぶされそうになっている一人の少女だった。衝動的に細い肩を抱き寄せて安心させてやりたくなったが、自制した。それは立場にかこつけたセクハラというものである。結局、おれはややぎこちなく話題を接ぐことにした。
「――ところで。さっき変なこと言ってなかったか?ええっと、『アルク』とか」
「え!?」
 ファリスは顔を跳ね上げた。なぜかその頬に朱が差している。
「えーと、おれの記憶違いでなければそれはルーナライナ語では」
「いえいえいえ!なんでもありません。きっと聞き違いでしょう!」
「そうだったかな?」
「そうです。きっとそうですよ」
 ま、いいか。おれも徹夜二日目くらいはよく意味不明な単語を口から漏らしているらしいし。自覚はないが。
「よっし、とりあえず靴はなおったよ!」
 直樹が持っていた塗装用マスキングテープ(何故そんなものを持ち歩いているのか)でぐるぐる巻きにし、ずさんな応急処置を済ませたローファーを履いた真凛の声に、おれは手を挙げて応じた。周囲を取り巻いていた黒い靄の結界も晴れ、通路の向こうからネオンの光と雑踏のざわめきが流れ込んできている。振り返るとまだ元気がない皇女の顔。おれは指を打ち鳴らし、一つ提案した。
「んじゃま、今夜は歓迎パーティだな」
「パーティだと?」
「そうさ、ファリス来日記念だ。都合のつく奴全員かき集めてな」
(いや待て、たしか全員の日程を揃えて後日やるはずでは?)
(ああ、だから今夜は前哨戦さ。景気づけにな)
 どうせ今回はメンバーを多数駆り出す算段なんだ。顔合わせは早いに事はない。
「いいん、ですか?」
「ああ。たぶん宅配ピザとドラッグストアで買ってきた缶ビールになるけど」
「ふむ、飲み会の類いは気乗りしないが」
「イヤそこはお誘い嬉しいです、って言っとけよ引きこもり」
「引きこもりは余計だ。だが俺も皇女殿下にはきちんと挨拶をしていなかったからな。今回は参加させて貰うとしよう」
「……パーティ?今夜?」
「ああ。真凛、お前は予定空いてるか?酒は出せんがピザなら食えるぞ」
「うん、そだね。……空いてるよ」
 真凛がそう呟いた。

 
「亘理サン、きっと我々に気づくてイルのコトでしたよ」
 雑居ビルの屋上から闇に覆われた眼下の一部始終を視界に収め、『双睛』は主に報告した。だが、彼女の主、『朝天吼』はそれに反応を返さず、手摺りを左腕でつかんだまま石像のように硬直している。――いや、石像のように、ではなかった。よく観察すれば、その腕がぶるぶると震えていた。そしてそれを押さえつけるかのように、右腕で左腕の古傷を強く握りしめていた。
「……坊ちゃま?」
「坊ちゃまはやめろ」
 劉颯真が低く呻いた。腕の震えを押さえつけたかと思うと、今度は肩が震えだした。喉奥からはくつくつと声が漏れる。笑っていたのだった。
「竜殺し、とは聞いていたが、よもやあの域とは……!!」
 この半年、歩法と吐納法から全てを練り直した。剣で言えば、なまくらを炉に入れ直し、再度一から叩き上げたという自負がある。丹田の充実は比較にもならない。その彼にして、先ほど獣を一方的に屠った『殺捉者』の技量は想定の範囲を超えていた。半年前の奴であれば、いかなる攻守も崩し勝つ自信があった。だがしかし、これは。
「笑えるな。勝つ見込みが半分も見えんとは……!!」
 だからこそ、戦慄と、そして興奮が若き王の魂を震わせる。次に奴とまみえた時、己が誇りを砕かれ地べたを舐めているのではないかという恐怖。あれほどの強者を打ちのめし屈服させた時、いかなる退廃的な遊びに身を任せても味わえない快楽が己の脳髄を焼くであろうという甘美な期待。そうだ、そうでなくてはならない。
「美玲。師父に信(てがみ)を。――『次の戦にて、我、”七句”、”八句”、”九句”を用いる』とな」
『颯真様!?』
 常に余裕を崩さない美玲が、驚愕を露わにした。言葉も己の母語に戻っている。
『どうか再考を。四征拳九句六十五手、そのうち七句より後は秘奥、王の拳。無名の師(いくさ)で開陳するものではありません』
「構わん。あれほどの魔性を討つには、我が秘奥を注ぐより他あるまい」
『しかし、四征拳の秘奥は御兄弟の中でも颯真様のみが伝えられたもの。もしも他の御兄弟に漏れては今後に……』
「構わんと言ったはずだ」
 美玲は一礼し、一歩退さがった。それは王の決定であり、臣下がそれ以上口を差し挟む事ではなかった。
「”竜殺し”殺し。その銘こそ王に相応しい。そのためなら秘奥の一つや二つ、なんのためらいがあるものか」
 夜風を頬に受け、若き王は獰猛な笑みを浮かべた。
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人災派遣のフレイムアップ 第7話 『壱番街サーベイヤー』 19

 時計の針が二十二時を回った。地方の街であれば人通りは少なくなり、商店はシャッターを下ろし明日に向けての準備を始める。だが都内、それも新宿区高田馬場の駅前ともなれば、店舗の終日営業などはごく当たり前。ネオンはより一層輝きを増し、二次会へと向かう酔っぱらった学生達の喧騒に駆り立てられるように、街のせわしなさはより加速していく。
「なんだかなあ」
 駅前の一角、小さなビルの一室に押し込められたファミリー向けのイタリアンレストランのカウンター席のひとつに、七瀬真凛は己の身を押し込んでいた。真凛が知る限り、本来このチェーン店は余裕のある座席配置でゆったりと食事がとれるはずだったが、都内の高騰した家賃で利益を出すのは容易ではないらしく、いま彼女は隣の客と肘がぶつかりそうな細いカウンター席に詰め込まれ、女子高生にもお手頃な値段のドリアと飲み放題のドリンクバーに向かい合っていた。
 一通り歓迎会が盛り上がった後、皇女は疲れを癒やすため割り当てられた客間に引き取り、後は残ったメンバー達の単なる飲み会と化していた。来音さんが遅いから家まで送ってくれると言ってくれたが、謝辞し、そのまま自分の足で帰路についたのがついさっき。そのまま真っ直ぐ帰宅するだけの事だったのだが……なぜか今、自分はファミレスでドリアをつついている。
 グラスの中には薄桃色の液体。アイスティーとオレンジジュースとソーダを混ぜ合わせたドリンクバー・カクテル。友人から教えて貰ったものだ。
 カバンの中のがま口を開けて、硬貨の枚数と金額をいまいちど数え、注文したメニューが予算内に収まっているか確認する。消費税を忘れずに。七瀬の家には小遣いという概念がない。母は使う目的さえはっきりしていれば金額の大小に問わずお金を出してくれるが、それ以外には友人達に喫茶店に誘われた時用にごく小額を渡されるのみである。現役女子高生の懐事情としてはお寒い限りであった。メニューを見て、テーブルにある呼び出しボタンを押し、店員さんにメニューを告げる。たったそれだけの事にもたつき、ボタンを何度も連打し、店員さんから冷たい眼で見られてしまった。
「……なんだかなあ」
 繰り返し、ため息を一つ。自分の馬鹿さ加減が時々心底嫌になる。いつもこうだ。学校帰りに一緒に寄り道する達、そして仕事で同席するアイツが当たり前のように出来ていることができない。やったことがないからだ。この一年あまりで、いかに自分が『箱入り』(その単語すらつい最近知ったのだ)であるかということを、七瀬真凛はつくづく思い知らされていた。
 正直なことを言えば、アルバイトでもないのに夜十時を回って一人でファミレスに居るというのも初めての体験だった。勢いで入店したものの、極めて落ち着かない。今すぐ食事をかきこんで、店を出て行きたくなる。それも情けなかった。つい数時間前、武道家として新たな境地に達したことを喜んでいた自分がどこか遠くに消え失せてしまったかのようだった。
「映画の約束なんて覚えてないよね」
 またドリアをつつきまわし、そんなことを呟いていた。六本木のオールナイト特撮映画。もちろんそんなものは皇女と出会う前にバタバタとかわした口約束にすぎない。自分だって勢いで友達とかわした放課後のお茶の約束なんて、忘れたり反故にされたりするのが当たり前だ。当たり前なのだ。だが、とは言え。
「素敵なひとだったなあ」
 銀髪のお姫様。絵本の中から出てきたような。そして頭がいい。なんか難しい国の話とか戦争の話をアイツとしていた。脳みそを使った難しい会話をする時、アイツは決まってそういう時嬉しそうな顔をする。自分相手には決してしない。どちらの約束を優先するかなど、わかりきっていたことだろう。
 彼女とは何歳離れていただろうか。国と、そこに暮らす人々の事を心から思う優しい女性。彼女、いや、彼女達(・・・)から見れば、自身の事で手一杯の幼稚な自分など、子供、いや、猿か何かに見えているのではないか。いやいやそんな事はない。彼女は自分を友人として扱ってくれている。それこそ彼女に失礼だ。いや、だがしかし。
「あああああ~!なんなんだろうコレ」
 頭を抱えてテーブルに突っ伏すと、ドリアの皿が抗議の声を上げる。どうにもこれはよくない。普段シンプルな思考に慣れきった頭が、複雑な問題を解決しようとしてオーバーヒートしているようだった。そんな状態がしばらくつづいた後。
「……あれ?」
 ふとテーブルの端にある伝票に眼をやり、――凍り付いた。
 伝票に記載された合計額が、予算を上回っていた。
「うそ」
 計算を間違ったのか。
 胃のあたりが締め付けられる。そんな馬鹿な。確かに数学は大の苦手だが、いくらなんでも三桁の足し算を間違えるはずが。確認したのに。だが数字には確かにそう書かれていた。
 大慌てでカバンの中をまさぐる。小銭の入ったがま口、学生証、定期を兼ねた交通カード、余白の目立つ手帳と筆記用具、非常食と包帯、通話機能のみの携帯。友人達が口々に『残念』と評するカバンの中身は、それだけだった。
 食い逃げ。無銭飲食。おまわりさん。逮捕。死刑。
 チープな単語が脳内で連鎖しぐるぐると回転。涙目でパニックに陥りかける。この半分食べ残しのドリアを返せば料金へらしてもらえるだろうか。そんな愚かなことを本気で実行しようかと思った時。
「こういうレストランだとね、時間によっては深夜の割り増し料金を取られることがあるんだよ」
 横合いから声がかけられた。


「あー、すまない、ここ、いいかな」
 慌てて振り返ると、そこには二十代後半とおぼしき男が居た。隣の席が空いたので、そこに座ろうとしていたようだった。ほとんど反射的に武道家としての目付を行う。背は高い方だろうか。すっきりとした印象だが、痩せすぎという程ではない。日ごろの運動習慣はないが、本来そこまで不得意ではない、そんなところか。
「も、もちろん。どうぞ」
 慌てて少し椅子をずらし、男の座れるスペースを確保する。
「や、助かるよ。どうも狭いところは苦手でね」
 男はしごくのんびりした挙動で腰を下ろした。その緩やかな挙動に、パニック寸前になっていた真凛の思考は、いったん落ち着きをみせていた。焦ったところでどうしようもない。最悪、電話で実家に助けを求めるという手もあるのだ。そこでようやく顔と服装に目が行った。おさまりの悪い長めの黒髪をざっくりと整髪料でまとめ、後ろに流している。穏やかな表情に柔らかな笑みを浮かべ、かっちりとした背広に季節相応のコート。服のブランドには微塵も知識が無い真凛だが、とりあえず「高そうだな」という事はわかった。生地や糸がしっかりしている。自分が普段来ているものと同様に。
「学校の先生ですか?」
 ついそんな感想が口をついた。席に着いた男はちょっと虚をつかれた表情で、
「そりゃどうして、そう思ったのかな?」
 と疑問を挟んだ。真凛は赤面した。どうにも考えなしに思いついたことを口にしてしまう。学校やアルバイト先ならいいが、会ったばかりの人には失礼ではないか。
「ええっと、その。頭が良さそうで、教えるのが得意そう、だから……?」
 男はどうやらその言葉をかみしめているようで、感慨深げに何度も呻いた。
「そう言って貰えるととても嬉しいね。こう見えてもその、ぼく、人にものを教える仕事をしているものでね。経営コンサルタントをしているんだ」
 などと言いながら男は手早くスタッフを呼び、スープとサラダ、ピザ、ドリンクバーを注文する。
「コンサルタント、ですか?」
「ああ、うん。高校生だとまだちょっとイメージしづらいかな」
「会社の偉い人とかに、これからどうすればいいかを教える仕事、ですよね」
「へえ、すごいな!よく知ってるね」
「いえ、ただ前にアルバイト先でそういう人に会ったことがあるだけです」
 たしかそのコンサルタントは詐欺に手を染めていた気もするが。
「いやこれは本当に凄い。単語を知っていても実際の仕事内容まで知っている高校生はなかなかいないものだよ。たいしたものだ」
 男は屈託のない笑みを浮かべる。頬のあたりに熱を感じた。日頃、こと知識や知恵については、からかわれることはあっても褒められることはほとんどないのだ。
「あ、そうだそうだ。これ名刺ね。よろしくどーぞ」
 真凛は名刺を見た。黒色の背景に赤字に黄色縁取りのゴシック体ででかでかと『絶対安心!売り上げ倍増!あなたのおたすけ経営コンサルタント!』なる題字、そして『お困りの際はこちらへ!』のコメント共にメールアドレスがあるのみだった。電話番号も、住所すら書いていない。
「…………これ、本物、ですか?」
 いかに真凛でも、まともな社会人がこんな名刺を使うはずがないということくらいはわかる。
「あー。胡散臭いよね。名刺刷る時、この方がインパクトあるから良いって言われたんだけど。……メールでだけ仕事を受け付けているんだよ。あちこち飛び回ってて、事務所もないから郵便物は極力なしにして。ね?」
 慌てて弁解する様が、なおさらに怪しい。
「別に、名乗る分には自由だと思います、けど」
 陽司が以前言っていた。国家試験が必要な弁護士や医者とは異なり、名乗るのに資格がいらないコンサルタントだの社長だのはまず疑ってかかれと。横文字のそれっぽい肩書きがくっつけばくっつくほど怪しいのだとかなんだとか。
「あ、信じてないよねそのまなざし?そりゃ確かにお得意さんの数は少ないけど、結構みんなお金払いもいいし、これでもそれなりに軌道に乗ってるんだよ!?」
 弁明するほど墓穴が深くなっていく悪循環は、店員がおりよく料理を運んできた事で断ち切られた。
「や、これは助かる。……良かったら、ピザたべる?」
「えっ」
 反射的に皿に視線を移しかけ、目を伏せた。正直なところ、今日の乱闘続きで昼に食べたタイカレーはすでに消化し尽くしており、ドリア一皿程度では到底カロリー消費を補いきれていなかったのである。
「ぼくこれでも体型維持のためにカロリー制限しててね。半分も食べないから。どーぞどーぞ」
 年寄り臭いセリフとともにボリュームあるピザの皿を差し出す。理性と礼儀と食欲が二秒ほど葛藤し、後者に軍配が上がった。
「そ、それじゃあ、少し、頂きます。……今日もお仕事帰りなんですか?」
「んー、ちょっと違うかな。夕飯は軽く済ませて、仕事をするのはこれから。お客さんがどうしても夜がいいって言うんでね。せっかくだから、昼は東京観光に回したんだよ」
「観光、ですか?」
 思わずまじまじと見てしまう。この男の顔立ち、そして発音は完璧に日本人のものだった。今日一日(名目上の)観光案内をしていた浮き世離れした銀髪の皇女と比べるとどうにも違和感がぬぐえなかった。
「ああ。ぼくは日本人なんだけど、最近ずっと日本を離れていたんだ。せっかく戻ってきたから、東京の思い出の場所を巡っていたんだよ。会いたかった人も二人ほどいたしね。いやはやさすがはトーキョー、ちょっと目を離すとすぐビルが生えてくる。思わず刈り取りたくなっちゃうよ」
 高層ビルを空き地に生えた雑草か何かのように言う。
「ぼくが昔居た大学も近くにあってね~。変わってるものもあり、変わっていないものもあり。懐かしくってついつい長居しちゃったよ。あ、会いたかった奴ってのは大学の後輩なんだけどね、あいつめ、学校サボってバイトに精を出してるらしく、いなかったんだよ」
「あ~、やっぱりそういう人、多いんですか」
「多いねえ。まったく困ったものだ。学生の本分は勉強だと言うに。――まあいいよ。会いたかったもう一人には、今ここで会えたからね」
 男は屈託のない笑みのまま、真凛の顔をじっとみつめた。
「――え?」
「七瀬真凛、さんだよね」
 真凛の瞳孔がすっと細くなる。もしや先ほど倒した『南山大王』の関係者か。そこにはすでに世間に疎い女子高生ではなく、武道家の顔があった。警戒に気づいたのか、男は大げさに両手を振った。
「あーいや!ごめんごめん!これじゃ完全に不審者だよね。言い直すよ。アルバイトで陽司のアシスタントをしてる子、だよね?」
「えっ!陽司の知り合いなんですか?」
「昔ね。結構これでも、仲は良かったんだよ」
「昔のアイツ、……って」
 どんなヤツだったのか。以前少しだけ聞いたことがあったが、その時はケンカ状態でありとても教えてくれる状態ではなかった。この男は知っているのか。そう疑問をぶつけようとした時。
「やー君のことは知り合い経由で良く聞いててねー。陽司のやつが事あるごとに君のこと語っているっていうから気になって気になってさ。いやはやいやはや、まさかこんな可愛らしい子と毎日一緒にバイトしているとは!あの人間不信のひねくれ者にはちと果報が過ぎるというものだよ。バイト先が高田馬場にあるっていうから寄ってみたらまさかのドンピシャ」
「っ、そ」
 そうなんですか?知り合いとは誰なのか?というか、亘理陽司が自分のことを事あるごとに話しているとはどういうことか?可愛らしいとはどういうことか?というか貴方そんなに陽司と親しいんですか、どういう関係ですか――瞬時に脳内が複数の疑問で焼き切れかけ、言葉が詰まる。どうにか口を開こうとしたが、
「――そうなん、」
「飲み物お代わりいる?」
 結果、七瀬真凛はいずれの質問も口にすることはできなかった。
 
 
「好きなものを頼んでよ。まあ、お代わり無料のドリンクバーだけど」
「あ、じゃあ、コーラを」
 男が自分と真凛のグラスを持って席を立つ。さすがにそれは申し訳ないと真凛も席を立ち、結果二人揃ってドリンクバーのマシンの前で話し込んでしまっていた。
「はいコーラ。ふふん、じゃあぼくはちょっといいものを飲んじゃおうかな」
 男は何やら自信ありげに言うと、氷を放り込み、まずはアイスティーを半分ほどグラスに注いだ。
「これにね、オレンジジュースと、ソーダを混ぜる。これがちょっとしたカクテルになって美味しいんだよねえ。どう、知ってた?」
 満面の笑み。今の今まで自分がそれを飲んでいたことを言い出せず、真凛は曖昧に頷いたまま、男がマシンを操作するのを見守った。

「このアイスティーみたいなものさ」

 マシンを覗き込んだまま、男が唐突に呟いた。
「……。……は?」
 咄嗟に文脈が把握できず目を白黒させる真凛に構わず、男は言葉を続けた。
「君の最初の質問。昔のアイツ。亘理陽司ね。アイツはそう、こういうアイスティーみたいなもんだった。味もある。色もある。でも甘くなくて、まあ透明でね」
「……ええっと」
「でも、ね」
 男はボタンを操作する。マシンが稼働し、オレンジジュースがグラスの中に注がれていった。透明な琥珀色の液体に、橙色の不透明な液体がまざり、どちらでもない新たな液体に変わってゆく。
「今のアイツは……そう、こんな感じかな」
 続いてソーダ。透明の液体と炭酸ガスが注がれ、また液体が変質する。男はさらにボタンを押した、ジンジャーエール。グレープジュース。今度は烏龍茶。新たな液体が注がれるたびに、グラスの中身は色も、味も、見た目も、混ざり合い変化していった。最初は数色が混じり合い綺麗だった色も、種々雑多に混ざるうちにどんどん濁り、汚らしくなっていった。
「調子に乗って片っ端から色々混ぜちゃってさ」
 グラスを掲げた。自身が言っていたメニューとも明らかに違う、謎の液体。
「もう最初にグラスの中に入っていたのが何か、それすらもわからなくなっちゃっている。ばっかだよねえ」
 ストローを差し込み、軽く口をつけ、顔をしかめた。まあ、美味いものではないだろう。

「君にはこれ、何に見えるかな」

「へ?」
 男の奇妙な言動にいいかげん突っ込もうと思っていたのだが、さっきからどうもことごとく機を外されてしまう。
「何……って」
「『異物が混じったアイスティー』かな。それとも『いろいろ混ぜ合わせた炭酸カクテル』?『飲むに値しないゲテモノ』?君の意見は、どうかな?」
 
 試されている。
 
 唐突に、そう感じた。
 
 気がつけば、男はグラスを突きつけて、凝と真凛を見つめていた。その表情は穏やか。だが、決して曖昧な答えをしてはいけない。根拠はないが、直観する。今真凛を包んでいたのは、ストリートで野試合を挑まれた時に似た緊張感だった。男の顔と、グラスの中身を見て。彼女は、己の答えを口にした。

「まず、飲みます」

 男は目を見開いた。ちょっと意表を突かれたようだった。

「それが何かは、飲んでみて、決めます。口にしないだけで、見ただけで決めつけるのは、いやです」

「――うん。うん。そうかあ、うん」
 
 男はしきりにうなずいた。そして何を思ったか、
「あ、ちょっと!」
 ストローに口を付け、お世辞にも美味しいとは言えない液体を一気に飲み干してしまった。
「参りました。ぼくの負けだよ。さすがに女の子にこんな得体の知れないものを飲ませる訳にはいかないからね」
 誰が何に勝って負けたのか、さっぱりわからない。
「いやはや、なるほど。これはあのひねくれ者には、本当に果報すぎるようだ」
 結局、意味もわからないまま、その問答は終わった。

 席に戻り、男は手早くサラダと、残りのピザを平らげ、ナプキンで指を拭った。
「今日は楽しかったよ。ありがとうございました」
 そう言うと、ひょいと二人分の伝票をつまんで立ち上がる。
「あっ」
 あまりに自然な動作のため、真凛にして虚を突かれ、阻止する事が出来なかった。
「ここは持たせてよ。せっかく後輩の頼りになるアシスタントに会えたんだ。ご飯くらいおごらせてやって頂戴」
「……その、ありがとう、ございます。ピザもおいしかったです」
「そりゃ良かった。本当なら君みたいな人とイタリアンなら、ミラノあたりのちょっとイイ感じなトラットリアでお昼でも、ってところから始めたかったんだけどね。今日はまあ、ご挨拶と言うことで」
「そんな!こちらこそ、今日のお礼をしないと」
 気にしないで気にしないで、と男は手を振り――それにね、と呟いた。
「また会えるよ、七瀬真凛さん」
「えっ」

「だって、ぼくの言うことは、”真実になる”からね」

 手早く荷物をまとめ、席を離れようとする。そのとき真凛は、肝心なことを聞きそびれていたことにようやく気づいた。
「あのっ」
「ん?」 
「その……御名前、まだ」
 男はちょっと眼を丸くして、その後苦笑した。
「そうそう、そうだった。君にだけ名前を聞いといて。いかんなあ、どうにもぼくは肝心な所が抜けている」
 面目なさげに頭をかくと、男は真凛の手にある名刺を指さした。意図に気づいて名刺をひっくり返す。表には胡散臭いケバケバしい宣伝文。だが裏返すと、そこには一転して、シンプルな白地に、名前が一つ、あった。

「――影治(エイジ)。宗像(ムナカタ)影治(エイジ)、そう名乗っているよ、今はね」

 影治。どこかで聞いた名前だっただろうか?
「そうそう、ぼくが帰ってきたことは、ナイショにしといて貰えないかな?」
「え、でも折角日本に戻ってきたんですよね?どうせなら会った方が」
「いやいやなに、ほんの数日の間だけ。陽司のやつをびっくりさせたいのさ」
「はあ。……そういうことなら、まあ」
 影治と名乗った男は、徹頭徹尾胡散臭いまま、歳不相応の悪戯っぽい笑みを浮かべてこう言った。
「やつとはすぐに会うからね」


『何をやっているのだあのたわけものめが!!』
 怒声とともにワイングラスが宙を飛ぶ。重厚なガラス細工は回転しながら『紅華飯店』ドラゴンスイートの布張りの壁に衝突し、大音声とガラスの破片、赤い飛沫を盛大にまき散らした。
「……ト、ワンシムハモウシテオリマス」
『翻訳は結構ですよツォンさん。おっしゃっていることはわからなくても、何をおっしゃりたいのかはよくわかりますので』
 ほとんど涙目で必死に通訳するツォン青年を大輪の華のような笑顔でねぎらい、美玲は精算時にこの男の宿泊代金がいくら上乗せされるか暗算する。この哀れな青年は、ワンシムらと同じ部屋を使うことは許されていない。おそらく今夜の事変を知ったワンシムに問答無用で呼び出され、泣く泣く駆けつけたというところだろう。
『では改めて報告の続きを。ビトール大佐は雇用した日本人とともに皇女へ襲撃をかけましたが、護衛により撃退。そののち、雇用された日本人達は器物破損の現行犯で逮捕されました。元々大した情報が渡されているでもなく、先方から被害届が出ているわけでもありません。誘拐の片棒を担いだ事が日本の警察に漏れる可能性は低いでしょう』
 ツォン青年が丁寧にルーナライナ語に通訳すると、ワンシムの弛緩しきった体が、水素ガスの量を誤った風船のようにふくれあがった。そして何事かを低くつぶやく。
「……ソレデ、ビトール大佐ハドウナッタノカ、ト訪ネテオリマス」
 つたない日本語訳に、颯真が大げさに手を広げ、首を振ってみせる。
『我々の支援チームが状況の隠蔽に駆けつけたときには、姿が消えていました。一度立ち去った皇女の護衛達が再度連行したとは考えにくいので、まあ、逃亡したと考えるのが妥当ではないでしょうか』
 本当にそれを訳すのか、半分涙目で訴えてくるツォン青年に、先ほどと同じく華のような笑顔で促す。美玲は笑顔のまま、颯真は露骨に両の耳に指を突っ込んで雇用主の激発に備えた。
『~※○△#×○※○△#☆◆!!?』
 水素ガスが破裂するような、音だけ大きく威厳のない怒声は、ツォン青年が訳さなかったことと、聞き手の二人がまったく興味がなかったため言語化されることがなかった。居眠り中にしっぽを踏まれた太った家猫のように毛を逆立てて興奮するワンシムの罵声の嵐を、美玲は一分の隙もない笑顔でやり過ごす。笑顔とは裏腹に、決して彼女の内心は穏やかではない。依頼を受けてこちらで立案した活動計画を二度も無視して暴走されたあげく無様な失敗をし、そのたびに事態を悪化させているのだ。MNBの商習慣はより大陸のそれに近い。身がすり切れるような思いで顧客の無茶に応じる日本のシタウケ企業とは異なり、契約外のことに責任を取るつもりも取らされるつもりも毛頭ない。尻ぬぐいの代金を上乗せしない分だけまだ良心的だろう。罵声とともにテーブルクロスや灰皿が飛び交う。美玲は主に向けて飛んでいこうとした万年筆を鮮やかな『纏』の動きで絡め取り、颯真はそれをごく当然のこととして傲然とソファに身を沈めていた。
 この程度の男が怒ったところで出来ること、やらかすことなどたかが知れている。怒り疲れたところで改めて今後の話をするつもりだったが、その怒りは意外な形で収まった。ワンシムの携帯電話がアラームを鳴らしたのだ。餌を与えられた猫のように携帯に飛びつく。
『!!っ、メールか……!ハハ、ハハハ!ハハハ!!さすがだ!さすがはセンセイの根回しだ!』
 メールの内容を読み進むにつれ、今度は喜びのオーラがみなぎってくる。ひとしきり哄笑をばらまいたあと、ぎらついた視線を向けた。
『聞け、おまえ達。かねてから水面下でコンタクトしていた中南海とクレムリンの有力者の方々が、金脈の情報と引き替えに私の支持に回ってくれることが確定した。これがどういうことか、わかるか?ん?』
 ツォンの訳に、颯真の視線が刃のように細められる。実際に答えたのは美玲だった。
『まずはお祝いを申し上げますわ、閣下。隣接する二大国の主流派の支持を得たということは、ルーナライナの次期国王の座が内定したということですものね』
 愚かで操りやすい傀儡の売国奴として。続く言葉を喉奥にしまい込み、卑屈さの欠片もない完璧な追従の笑みを浮かべた。
『そうだ、そういうことだ!それはつまり、中南海の方々に、今回この案件を担当したおまえ達の覚えがよろしくなると言うことでもある。おまえ達はなんとしてもあの小娘から情報を奪うのだ。いいな!?』
 元からそのつもりで動いているのだ、と口を開こうとした主を、美玲はわずかに視線を寄せて制し、心得ておりますとだけ告げた。
『それにしてもビトールの愚か者めが!こんな時にこそ奴が必要だと言うに。手柄を焦り専行しおって、知恵の足らぬけだものめが!』
 その言葉に、颯真と美玲は一瞬だけ互いの目をからませる。だが結局は無言のまま、ドラゴンスイートを退出した。口にはしない。だが主従の表情が、言わんとすることをはっきりと物語っている。
 
 ――まったく、さんざん余計な回り道をさせてくれた。
 これでようやく、我々のやり方で戦えるというものだ。
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人災派遣のフレイムアップ 第7話 『壱番街サーベイヤー』 20

「久しぶりに来たが、やっぱり雰囲気が違うよなあ」
 明けて翌日。陽はすでに頂点を過ぎている。とにかく多事多忙だった昨日の疲れを癒やすため、おれ達は午前をまるまる休みにあてて、活動開始は午後からとしたのだった。
「私は正直、こちらの方が落ち着きます。今まで日本の大学は、こういうものだとイメージしていました」
 興味深げに紫の瞳であたりを見渡すファリス・シィ・カラーティ皇女殿下。
「確かに、昨日のキャンパスとはちょっと空気が違うかな?」
 授業を終えた後合流した七瀬真凛が問う。ちなみに真凛は、ご母堂の『極めるものは一つで十分』なる教育方針に従い、部活動の類いには参加していない。時々弱小運動部の試合の助っ人に参加する程度である。放課後の時間が取れることは実に結構だが、果たしてこれでいいのだろうか。――おれが言えた義理ではないが。
 相盟大学、理工学部キャンパス。昨日訪問した留学生センターとは少し離れた場所に位置し、運動公園に隣接した敷地の中、無骨なコンクリート製のビルディングが数棟突っ立っている。その中心には石畳を敷いた広場があり、学生が思い思いに過ごしている中、おれ達は研究棟に向かって歩いていた。学生達の雰囲気も基本的に違いはないが、ファッションに無頓着な者が多かったり、大人数で騒ぐよりも少人数で話し込んでいたり……良くも悪くもオタクっぽい、と評すべきだろうか。
「ま、どっちの連中も酒飲んじまえばおんなじなんだけどねえ」
 仕事や学内での用事の関係で、どちらにも交流があるおれとしては、あまり文系理系で優劣をつけたり対立を煽ったりする気にはなれない。結局は各人が与えられた環境で何をするかだ。
「……ただまあ、積極的に声をかけてくる奴が少ないのは助かる」
「それはちょっと残念です。せっかくキャンパスに来たのですから、ぜひ先輩方と授業の内容や学校についてお話を聞いてみたかったのですが」
「うーん、それはまた後でねー」
 周囲から向けられる視線を努めて無視しておれはのたまった。皇女殿下は昨日アクションに巻き込まれた反省を踏まえ、今日はシンプルで活動的なパンツスタイルに来音さんから借りたコートとハンドバックをあわせて、年頃の少女ながら大人びた秋の装いといった体であらせられる。帽子とサングラスはやめにして、アンダーリムの眼鏡を整った鼻に乗せて私物であるルーナライナ織りのスカーフで銀髪を纏めており、野暮ったさは消え失せたが、おかげで非の打ち所のないミステリアスな銀髪の美少女が爆誕してしまい、人目を引くことこの上なかった。
「……しかしだなファリス、昨日の酒は大丈夫だったのか?」
「ハイ!正直眠れないのではと不安だったのですが、就寝の前に桜庭さんから頂いたお薬とアロマのおかげで熟睡できました。時差ボケも飛行機旅の疲れも吹き飛びました」
「……若いっていいなあ」
 ってか変なもん薬に混ぜてないだろうな、桜庭さん。
 昨日のファリス皇女歓迎会はたいそう盛り上がった。ドラッグストアで買い込んだ発泡酒とおつまみとケータリングのチキン類を事務所に持ち込んだだけのものだったが、奇跡的に事務所メンバーが全員集まったため、ずいぶんとひどいことになったのである。
「陽司!やっぱりボクが帰った後ファリスさんにお酒飲ませたの!?」
「一度は休んでもらったんだがなあ。桜庭さんが地下からワインを持ち出したんで」
「ファリスさん未成年なんだからお酒だめだって言ったのはアンタじゃない!」
「まぁそういうな。ルーナライナでは酒は十七歳から飲んでよいのだそうだ。王族とは実質的に外交官、しからばこれは外交官特権が暫定的に随時適用されているようなもの、皇女殿下にわざわざ日本のつまらぬ規制を当てはめる必要はあるまいよ」
「よくわからないけど、アンタが屁理屈を言ってるって事はわかるよ」
「それになおまえ、ファリス皇女殿下の肝臓はな……」
「亘理さん、昨日の勝負については、後日余計なことはおっしゃらないと約束していただいたはずですよ」
「ハイ」
 まばゆい笑みに、酔った勢いで始めた飲み比べで無様に撃沈した間抜けは引きつった笑顔で応じる。くそっ、途中で焼酎とビールをちゃんぽんしていなければここまで無様な負けはさらさなかったというに。ちなみに直樹は悪酔いしたあげく自前のノートPCでカラオケソフトを走らせダウンロードした最新アニソン(PVつき)を歌い出し、連続で六曲まで歌ったところで来音さんにしめやかに超人絞殺刑に処されて昏倒した。羽美さんはここぞとばかりに特撮ヒーローに影響を受けて作成した怪しげなガジェットを宙に飛ばし大顰蹙を買い、仁サンはビキニパンツ一丁になって鉄板の宴会芸の分身ボディービルで受けを取った後、さらなる高みを目指しパンツも脱ぎ捨てようとしたところで青少年への悪影響を懸念したチーフの魔術で次元の狭間に放り込まれた。そのチーフは手を滑らせて床に灰を落としてしまい、桜庭さんの笑みに屈して外階段でさみしく火を灯すホタル族と化し、来音さんはこれまた悪酔いして泣きながら延々と恋愛論という名のダメンズ遍歴を語り、それに二時間つきあった所長が開き直って生き残りを連れて夜の町へと二次会に出撃することでようやくカオスは収束を見た。
「えぇー、なんかみんな楽しそうじゃない。ボクも残ってればよかったかな」
「私も、真凛さんとはいつか一緒にお酒を飲んでみたいですね」
「はははー絶対ダメ!です」
「まあそりゃあ、お酒はまだダメだってわかってるけどさあ」
 こいつの酒癖は人としても武道家としても最低最悪の部類である。何しろ酔っ払うと他人に技をかけたくなってたまらなくなるのだ。いつぞやの忘年会でおれは危うく因幡の白ウサギめいて背中の皮を剥がれて泣きながら布団にくるまって眠る羽目になるところだった。こいつが成人した後、いつか将来酒で深刻な問題をやらかさないか、おれはひたすらに不安である。
「ってかおまえこそ、途中で帰ったけど、無事に家につけたんだろうな?」
「へ?」
「そう、来音さんも心配されてました。真凛さんは無事に帰れたのかと」
「あ、その、うんもちろん帰れたよ。ちゃんと学校にも遅刻しなかったし」
「ま、地下鉄で一本だし、無事につけなきゃ困るんだが」
「うん。無事無事。なんにもなかったよ」
 それならいいが。傷害事件だけは勘弁してほしいものである。
「さて、研究棟についたぞ」
 おれは受付に学生証をかざし、アポを取っていることを告げた。


「やあ亘理君。よく来てくれたねえ」
「お久しぶりっす、斯波……えーっと、今は教授ですよね」
 白衣に黒縁の眼鏡、四十代後半という年齢以上に後退した額の人物がおれ達を迎える。
「おかげさまでね。無事論文も認められて教授の資格を得ることが出来たよ。君には感謝してもしたりない」
「まーわかりやすいほど雑なコピペでしたからねえ」
「君みたいに簡単に見抜いてくれる人がもっと多ければ助かるんだけどね」
 この御仁、せっかく書きあげた論文を盗用され、しかも先に発表されてしまうと言う被害に遭ったことがある。事務所でバイトを始めたばかりのおれに、人脈があるという理由で調査依頼がまわり、なんとか盗作を証明したという経緯があったりしたのだ。
「なんにしても、これでやっと恩が返せる。研究室のみんなには話を通しておいたからね」
「ありがとうございます。ってか、恩とかそういうのはなしでお願いします。おれが手伝ったのも仕事なんで。報酬ももらってますし」
「まあそう言わないで。君が盗作を証明してくれなかったら、僕は教授どころか学校にも残れなかったんだから。個人的な感謝の念と思ってくれ」
 ついてくるように促し、鍵をぶら下げたまま踵を返す斯波教授。おれ達は礼を言い、階段を上ってゆく。
 
「前から思ってたけどアンタ、結構顔広いんだねえ」
 後に続く真凛が仏頂面で声をかける。
「そうか?」
「だってあの人、先生なんでしょ?」
「ふむ」
 高校生の真凛にしてみれば、教師とは生徒にものを教える側の存在で、互角の立場で話をするというのは違和感があるのかも知れない。
「大学になれば卒業した先輩がそのまま教える側になるってのもそう珍しくはないからなあ。仕事で会えば単純に元依頼人と担当者だし。後は何かの折に時々連絡を取り合うようにしてると、自然とつながりが生まれる。そんなところだ」
「へえ~、でもなんか先生と仲良くなると、宿題増やされそうじゃない?」
 オマエにとって先生とは会話するたび宿題を押しつけてくるものでしかないのか。
「ふふん、それよりテストの傾向とかを教えてくれるから楽になるかもしれんぞ……ってぇか、普通におまえのところの学校の先生方とも時々話してるからな」
「えっ」
 真凛の顔が凍り付く。実は以前、おれは真凛の通う学校内での調査のため、事務員見習いとして潜入したことがある。その時先生方の何人かとはそれなりに交流を持ったりもしたのである。
「オマエの成績についても色々聞いてるぞ。秋の中間試験、とくに英語の成績がさんざんだったそうじゃあないか。こないだ若松先生から相談を受けたんだからな。常々言ってるだろう、この仕事に注力するのはいいが、本分である勉強をおろそかには――」
「あーっ!見えてきたよ、あれが研究室かなあ?」
 露骨に話をそらす真凛。まったくどこでそんな手管を学んでくるのやら。
 
 相盟大学理工学部、研究棟A-301、斯波研究室。そこが目的の場所だった。ドアを開けると数人の院生が物珍しげにこちらに視線を向けてきたが、斯波教授が軽く挨拶をすると、見学希望の学生かと思ったのだろう、それ以上詮索はしてこなかった。
「ここが、研究室なのですね」
 皇女がややうわずった声でつぶやいた。壁際には整然と並べられた机とPC、中央には巨大な黒い天板の机……いわゆる実験台。その隣には高価そうな何かの試験装置とおぼしき巨大な機械がいくつも設置され、低い音を立てて稼働しながら液晶ディスプレイ上に数字を吐き出し続けていた。部屋の半分は通常の教室同様コンクリートの打ちっ放しだが、残り半分は透明なシートで仕切られており、その中で動く人々はみな白衣と帽子と手袋で全身を覆っている。ゴミや塵の侵入を嫌うクリーンルームという奴だ。
「……なんか学校の理科室みたいだね」
「そりゃまさしく”学校”の、”理科室”だからな」
 もっとも、中の設備で言えば高校の理科室とは比べものにならない。ここに入っている機械一つで一千万円を超えるものも珍しくないだろう。
「すみません、こちらの機械は何に使われるのでしょうか?」
「え、ええっと、それはウェハーの測定に使用するもので……」
「ではこちらの大きな機械は?」
「そちらはメモリのテストを行う奴ですけど、」
「もしやフラッシュメモリも評価できるタイプでしょうか?」
「あ、はい。最近設備更新した奴なんで……」
「一回あたりのテスト時間と同時測定個数はいくつなのでしょうか?」
 院生のひとりを捕まえてもの珍しげに質問しまくる皇女様。昨日からちょっと思っていたのだが、どうやらこのお姫様機械に詳しい、というかこちらを専攻希望している模様だ。会話を続けるうちに単語がどんどん専門的になり、おれもついていけなくなってしまった。というか質問された院生の方は、銀髪の美少女から質問攻めにされるというゲームでもまずないシチュエーションにすっかり舞い上がってしまい、結構致命的な機密っぽい情報もぺらぺらしゃべってしまっているような気がするのだが、大丈夫であろうか。来週の今頃、キャンパス内がどんな噂で持ちきりになっているか、おれは容易に想像することが出来た。この任務が終わったら、しばらくこっちのキャンバスに顔を出すのは控えた方がいいか。
「ってか、教授の専門は半導体なんですよね」
「そうそう。ざっくり言えば、省エネCPUの開発がメイン。まーあれだよ。陶芸家みたいなもの。焼き方とか、何をまぜるとか、何度で焼くとか、そんなことばかりやってるの」
 のほほんと答えるが、この人の提唱した理論は次々世代CPUの基礎開発にあたって業界に相当なインパクトを与えたらしく、某大手半導体メーカーとの共同研究も始まっているとかいないとか。
 深呼吸を一つ。皇女の質問攻めが一段落したところでおれは切り出した。
「さて、ファリス。そろそろ本題に入ろうか」
「…………はい」
 今までのはしゃいだ様子が鳴りを潜め、表情に陰が落ちる。昨日の寮での、あの新聞記事を読み上げるような無機質な会話が思い出されたが、今日は彼女の顔にそれ以上の変化はないようだった。
「うん。アセルス王子のことだよね」
「彼はここの――正確には、僕が受け継ぐ前の、この研究室に所属していたんだ」
 先述の通り、斯波先生が教授になったのはつい最近のこと。教授への昇進にあたり、丁度恩師に当たる老教授が定年を迎えていたため、最後の愛弟子として指名を受けてこの研究室を譲り受けたのだという。アセルス王子は、その定年となった先代教授の教え子だったそうだ。
「こちらでのアセルス王子は、どんな方だったのでしょうか」
「実は僕も直接は会ったことがないんだ。彼が在学していた間、僕は別の大学で助教をつとめいたし……彼はそう長く在学していたわけではないからね」
 言葉を濁す斯波教授。その後のアセルスの運命については、多少は耳にしているのだろう。
「そう、ですか」
「ただ、彼と面識のあった後輩からの又聞きだけど、大変熱心に研究に打ち込んでいた人だったらしいよ。それでいてまじめ一辺倒ということもなく、ユーモアのある人気者だったらしい」
「研究室にこもりきり、というわけではなかったんですね」
「それどころか、様々な企業や役所の人と頻繁に食事や会合をしてたらしいよ。将来、母国に戻ったときのためのパイプ作りだって言ってたそうだ。後輩の中には、その食事会に同席したことがきっかけで就職が決まった奴もいたりして、アセルスさんを一生の恩人と思う奴も多かったらしい。……そいつらは、アセルスさんが帰国後に亡くなった事が信じられない、と言っていたよ」
「企業や官庁との接触、ね……」
 それが後に、金鉱脈の情報の流出、そして処刑へとつながる。アセルス王子。時期王の座に最も近いところにありながら、王を裏切った男。彼の目的は、いったいどこにあったのだろうか。
「そうそう。教授のテーマは半導体ですけど、アセルス王子個人はいったい、何を専門に研究していたんですか?」
「ああ。コンデンサだそうだよ」
「コンデンサ?ってええっと、アキバの電子部品屋で売ってるような筒みたいなちっちゃい部品ですよね。こちらの研究とはちょっと毛色が違うような気が」
「ああいえ、亘理さん。コンデンサの中には半導体を使用してるものも多々あります。こちらで研究されている製造技術とは、かなり共通するものがあると思いますよ」
 そのコメントは教授ではなく、ファリスのものだった。
「えーっと、もしかしてファリス、こういうの詳しい?」
「あ。……はい。結構、機械いじりとか楽しくて……」
 ふぅん。そりゃぜひ詳しく聞いてみたいところだ。
「アセルス王子のテーマはシンプルだが王道、品質のよいコンデンサの量産だったね。そういう意味ではメーカーの人とも共通するものが多かったんだろうなあ」
 砂漠の国の王子にして、電子部品の研究者。すでに故人となっている王子の姿は、おれの脳内で二転三転し、明確な像を結ぼうとはしなかった。
「でですね。その、アセルスさんの荷物をこちらで預かっていると伺ったのですが」
 おれは話を進める。ここで想像にふけっているわけにはいかないのだ。
「ああ。昨日のうちに色々電話して確認したんだけど、さっきの後輩達が、寮からアセルスの荷物を引き取っていたんだそうだ。いつか戻ってきたら、って思ってずっと保管していたんだけど、、ほら、ああいうことになったから……。それで処分するわけにもいかず、そのうち彼らも卒業してしまってね。手つかずの状態で研究室の倉庫に保管したままになっていたんだそうだよ」
「では、では今もここに?」
 逸る皇女の問いに、教授は首を振った。
「ここから丁度キャンバスの反対側、隅っこに古い共用の倉庫があってね。そこに使っていない資材とか古い資料とかがまとめて積んであるんだ」
「ああ、あそこでしたか」
 おれはその場所に心当たりがあった。たしか年に一度、学祭の時に使うテントなんかもそこに放り込まれていたはずだ。
「鍵は借りてきておいたよ。倉庫の奥の方、『斯波研』て札があるスペースが僕らの置き場になっている。前の研究室から丸々引き継いだから、たぶん底の方に眠っているはずだ」
「ありがとうございます、忙しいところ」
「なに、それこそお互い様さ。頑張ってね」
 おれは昭和製と思われる古くさい南京錠の鍵を受け取り、硬い面持ちの皇女を振り返った。
「んじゃあ、そこに行ってみますか」
 皇女は不安げに、だがしっかりと首を縦に振った。
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人災派遣のフレイムアップ 第7話 『壱番街サーベイヤー』 21

 研究棟を出たおれ達は、キャンバスを大きく回り込んで、公園と一体化している遊歩道を歩いていた。ちょうど建物の裏口に沿って移動する形となり、にぎやかなキャンパスの裏の顔、ゴミの山や廃棄された看板がさらけだされている。
 研究棟と倉庫は、キャンバスを挟んで丁度反対側。向かう道は幾通りもあった。
 その中で最も人目につかず、それで居てそこそこ道幅の広い道を選んだのは、同行者達に対するおれなりの配慮というものであった。
「……気づいたの?」
 歩きながらさりげなく肩をよせ、ささやく真凛。おれも速度を落とさぬまま、肩をすくめて鷹揚に応じた。
「まさか。おれに気配なんて読み取れるわけないだろ」
「それじゃあ」
 気配は読めなくても、相手の考えなら読み取れる。
「『鍵』の在処はつかめた。都内で人目を気にせず襲いかかれるチャンスはそうない。事務所に逃げ込まれてしまえばアウト。多少のリスクを侵してもここは打って出るべき――そんなところだろう?」
 振り返らずに後ろへ声を放る。程なく街路樹からするりと、スーツ姿の油断ならない美女が滑り出た。
「ドーモです、亘理サン。マタまた会えて嬉しいなのデス」
「どうも、美玲さん。一応気配読んでみようと思ったんですがねえ。まったく感じ取れませんでしたよ」
「貴女は、空港の……ッ」
『ご機嫌麗しゅう皇女殿下。ほんの一日ぶりですけども』
 艶やかに笑う美女。その視線が捉えるは銀髪の皇女。素早く真凛が割って入り壁となる。
「ってことは、颯真も来てるってことだよね!」
「サテ、どうデショ?今日はお休みカモですよ?」
 あたりを見回す。街路樹、キャンパスの建物、金網、植え込み、街灯。だが美女とつるんでいるはずの獰猛な青年の姿はない。
「前回はアナタタチ待ち伏せデシタからね。今度は少し焦らシタイのことよ」
 一定の距離を保ったままの美玲さん。真凛が突撃して皇女の護衛ががら空きになったところに颯真が不意打ちをかけてきたら厄介ではある。あるのだが。
 おれはしばらく考えて――真凛にアイコンタクトを送る。頷く真凛。
「そうかそうかあ。いやはや参った、雷名轟かす若き侠客、『朝天吼』も所詮は横浜ローカル。東京の裏社会に君臨する『竜劉殺し』と拳を交えるのを避けるは賢明、これぞまさしく書生の――っとあっぶね!!」
 中空に放ったおれの挑発は、上空に茂る銀杏の木から瀑布のように落ちかかったブ厚い斧刃脚によって遮られた。当たって居ないはずなのに、頭髪が数本舞い、額の皮が薄く裂ける。
「誰が誰から逃げたと?」
 斧刃脚、右脚を宙にまっすぐ突き出し、左脚を深く折り曲げた片足立ちの体勢のまま、毫も構えを崩さず青年……劉颯真は冷たく言い放った。
「ふふん、まだまだだなあ颯真、せっかく美玲さんが不意打ちの陣を敷いたってのに、肝心のオマエが安い挑発一つで算を乱してどうする」
 おれは軽口を弄しつつ、真凛の代わりに皇女のガードに。冷静さを奪うべくなおも挑発を繰り返そうとしたが……叶わなかった。目の前の青年の放つ、凍てつく殺気によって。
「……なに、貴様相手に不意打ちなど最初から成功するとは思ってはおらん。美玲の顔を立てたまでのこと」
 ぎりぎり、と音が聞こえる。幻聴ではない。呼吸により練り上げられた内勁に応じ、奴の深層部の筋肉が 静かに圧縮され力をため込んでいるのだ。――さながら、重い橋脚を吊り下げるスプリングのように。
「策は美玲がどうとでも取り繕う。我が為すべき事は――」
 あ、やべぇな。おれは内心舌打ちした。挑発が効果を持つのは迷いを持つ奴、選択肢を持つ奴だ。最初からやるべき事を一つと決めている者には――
「真凛!」
 おれの声なぞ、とうに戦闘モードに入っている女子高生の耳には届かない。
「貴様と雌雄を決する事よ!!」
 バネが弾けた。
 昨夜の『南山大王』と同様に力強く、だがそれよりも遙かに静かに、氷上を滑るように。

 四征拳六十五手の四十一、『揚水如竜(かいしょうはりゅうのごとく)』。
 
 三十七手より先の四征拳は、その姿をいささか変える。
 それまでは『沈墜勁』―ーすなわち鬼すら踏み砕く大地の気、その反動として衝き上がる天の気を産み出し、炸裂させる技法を主とする。
 だがそれより先は次なる段階。
 膨大な天の気を炸裂させるのではなく、己が身に纏いて東西南北縦横自在に拳を、腿を、靠を叩き付ける神速の身体運用――すなわち『十字勁』。

 劉颯真はその位に達したのだ。

「……くっ……」

 真凛は身構える。だが。

 銃弾を避ける回避が、『南山大王』の超音速の突撃すら斬って捨てたカウンターが間に合わない。
 否、応じきれない(・・・・・・・)。それは単純なベクトルではない。神速でありながら意思を持ち、着弾のその瞬間まで真凛を狙い、補正し、護りを貫きかいくぐる魔性の拳。

 まるで迫撃砲で打ち出された水銀のごとく。
 異常な疾さ、重さ、滑らかさを伴う崩拳。

 轟音。

 おれは信じられない光景を見た。胸部に致命の打撃を叩き込まれ、宙を吹き飛ぶ七瀬真凛の姿を。
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|コメント(-) |トラックバック(-) | 2016年10月28日 (金)00時05分
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